私たちはまだ、この歴史を知らない。『決断するとき』が突きつける「無知」と「良心」の境界線
『決断するとき』 3月20日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
今回紹介する作品の原作は、現代アイルランド文学の至宝と称されるクレア・キーガンの傑作中編『スモール・シングス・ライク・ディーズ(こんなどこにでもあるような小さなこと)』だ。主演を務めるのは、『オッペンハイマー』でオスカーを手にした直後のキリアン・マーフィーだ。彼が自ら映画化を熱望したという本作『決断するとき』は、派手な演出を一切排除し、一人の男の沈黙と葛藤を通して「正しいとは何か」を問いかける。本作が、単なる歴史の告発に留まらず、なぜ今、私たちの心をこれほどまでに揺さぶるのか。その理由を紐解いていきたい。
舞台は1985年、アイルランドの小さな町。炭鉱商人として生計を立て、家族と慎ましく暮らすビル・ファーロング(キリアン・マーフィー)は、クリスマスが近づくある日、炭鉱を届けに訪れた地元の修道院で、目を背けたくなる現実を目撃する。そこに身を置く少女から「ここから出してほしい」と懇願され、若い女性たちが行き場もなく苦しんでいる現実と向き合うことに。見て見ぬふりをすることが賢明だと理解しながらも、良心の呵責に悩むビル。そんな彼が、ついに下す決断とは――。
ビルが目撃した光景は、単なるフィクションではない。本作の背景にあるのは、アイルランドの歴史に刻まれた深い傷跡「マグダレン洗濯所」の実態だ。カトリック教会が運営し、1996年まで実際に存在していたというこの施設で、一体何が行われていたのか。
はずかしながら筆者は本作を鑑賞するまで、マグダレン洗濯所という存在を知らなかった。だが、劇中で描かれる「見て見ぬふりをする町の人々」の姿を見たとき、それは決して遠い異国の、過去の話ではないと直感した。私自身が無知であったからこそ、主人公ビルが修道院の暗闇で「見てはいけないもの」を目撃した瞬間の恐怖が、手に取るように伝わってきた。キリアン・マーフィーの、言葉を失い、ただ眼差しだけで語る演技。それは、凄まじい事実を突きつけられた人間の戸惑いそのものであり、無知であった筆者の視線と完全に重なったのである。
原題の『Small Things Like These(こんなどこにでもあるような小さなこと)』が示す通り、この物語は日常の隙間に潜む小さな選択を積み重ねた先に辿り着く。大きな権力に抗うことよりも、隣人の苦しみに手を差し伸べるという「当たり前」のことが、これほどまでに難しい。邦題の『決断するとき』とは、まさにその「当たり前」を選び取る勇気が試される瞬間を指しているのだろう。劇場の灯りがついた後、私たちは自分自身の内側にある「沈黙」と、どう向き合うべきか。その答えを探す旅が、ここから始まる。
(文/杉本結)
『決断するとき』
3月20日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
監督:ティム・ミーランツ
原作:クレア・キーガン「ほんのささやかなこと」(鴻巣友季子 訳/早川書房 刊)
出演:キリアン・マーフィー、アイリーン・ウォルシュ、ミシェル・フェアリー、クレア・ダン、ヘレン・ビーハン、エミリー・ワトソン
配給:アンプラグド
原題:Small things Like These
2024/アイルランド・ベルギー合作/96分
公式サイト:https://unpfilm.com/ketsudan/
予告編:https://youtu.be/l68bmwZaOrs
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