【「本屋大賞2026」候補作紹介】『熟柿』――死んだ母親として生きていく。贖罪の果てに深い感動と余韻が広がる長編小説

- 『熟柿』
- 佐藤 正午
- KADOKAWA

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BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2026」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、佐藤正午(さとう・しょうご)著『熟柿』です。
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罪を犯した人間は、一生幸せになることは許されないのでしょうか。今回紹介する『熟柿』は、そんなシンプルな問いが胸に迫る長編小説です。
市木かおりは激しい雨の降る夜、眠る夫を助手席に乗せて運転していたところ、1人の老婆をはね、ひき逃げの罪で逮捕されます。妊娠中だったかおりは服役中に息子・拓を出産したものの、出所後は夫に離婚を迫られ、これを承諾します。しかし、どうしても息子に会いたい気持ちを抑えられなかったかおりは、拓が通う幼稚園で連れ去り事件を起こし、息子との接見を禁じられます。
「母親が犯罪者の子供と、母親に死なれた子供と、どっちがより不幸か、考えてみろ。これから子供が成長して、社会に出て生きていくうえで、どっちが彼の障害になると思うか、よく考えてみろ」(本書より)
元夫からこう言われた彼女は、死んだ母親として生きていくことを選び、千葉から山梨、岐阜、大阪、福岡と居を移しながら、せめて息子にお金を残したいとの思いで懸命に働きます。やがて17年の歳月が経ったころ、彼女は初めて過去にまつわる衝撃的な事実を知ることになります。
自分のしたことを思い返すたびに贖罪の念にとらわれるかおりですが、罪人である彼女に対する世間の目は厳しく、ときに職を追われ、貯金を奪われ、流浪の身として各地を転々とします。西へ西へとかおりが移っていく様子は、まるで1本の長いロードムービーを見ているかのようです。だからこそ、最愛の息子と再会できる日など来ないのではないかと思える日々の果てに待ち受ける展開に、読者は深い感動と余韻を抱かずにはいられないでしょう。
彼女を取り巻く人々も印象的で、友人の鶴子や、息子・拓の同級生である久住呂 咲とその母・百合、福岡で出会った土居さんや百崎さんなどが物語にさらなる彩りを添えています。特に、夜中に仏壇の前にうずくまり、熟して腐りかけた柿の実を啜っていたという晴子伯母さんのエピソードは鳥肌ものです。不穏な物語の幕開けにふさわしく、そうした描写を用意する著者の巧みさに作家としての円熟味を感じさせます。
「熟柿」とは「熟した柿の実が自然に落ちるのを待つように、気長に時機が来るのを待つこと」。本書は、過ちを犯した人間にもいつか再生の機会が訪れる可能性を示しています。17年の歳月を経てようやく機が熟したかおりに、これから心穏やかな日々が訪れることを願ってしまうでしょう。
[文・鷺ノ宮やよい]
