漫画家・萩尾望都が初めて明かす、大泉での共同生活。美化される友情物語の真実とは――

一度きりの大泉の話
『一度きりの大泉の話』
萩尾望都
河出書房新社
1,980円(税込)
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 『ポーの一族』や『11人いる!』『残酷な神が支配する』など、日本漫画界に輝く名作を生み出してきた萩尾望都さん。漫画家としてデビューして、すでに50年が経つといいます。

 福岡県出身の彼女はデビューした年に上京し、1970年から1972年の2年間ほど練馬区の大泉にて、漫画家の竹宮惠子さんと2階建ての半長屋で共同生活をしていました。そのころについて、この数年で急にさまざまな話が来るようになったそうです。萩尾さんが何度断っても、竹宮さんとの対談やテレビドラマ化の企画などが持ち掛けられるといいます。

 そこで、「仕方がない、もう、これは一度、話すしかないだろうと思いました。これで私の気持ちをご理解いただき、外部からのアプローチが収まるよう望みます」(本書より)という意図から書かれたのが、本書『一度きりの大泉の話』です。

 大泉での生活をスタートさせた当初、萩尾さんのすぐ近所に住んでいたのが、のちに竹宮さんのブレインとなる増山法恵さんでした。彼女は毎日のように萩尾さんたちのもとに泊まりに来て、3人は眠り込むまで語り明かしたといいます。増山さんに触発され、文化的な知識をどんどんと吸収していった萩尾さんでしたが、どうしても感情移入できなかったのが「少年愛」の世界でした。しかし、竹宮さんと増山さんは見事に共鳴し、1971年には竹宮さんは少年愛がテーマの『風と木の詩』をクロッキーブックに描き、世に発表できる日を待ち望んでいたのだそうです。

 その後、萩尾さんと竹宮さん・増山さんの関係性は次第に変化し、竹宮さんから「そろそろ別々に暮らしたい」と提案されたことで、大泉での共同生活は終わりました。

 そしてほどなくして萩尾さんは、竹宮さんと増山さんが住んでいるマンションに呼び出され、ある質問を受けます。それは萩尾さんにとってあまりに想定外で、頭が真っ白になり、体調にも異変が生じてしまうほどショックを受けるものでした。

 そうして、誰にも詳しい事情を話さないまま、遠く離れた埼玉に引っ越した萩尾さん。その後、竹宮さんの作品はいっさい目にしないようにし、自分から大泉での話を語ることもなかったといいます。

 これはあくまでも萩尾さんの視点からの話であり、竹宮さんや増山さん、そして当時彼女の周りにいた関係者たちの視点から見れば、また違った話が見えてくることでしょう。

 漫画家の木原敏江さんは、萩尾さんにこう言ったそうです。

「あなたね、個性のある創作家が二人で同じ家に住むなんて、考えられない、そんなことは絶対だめよ」(本書より)

 それぞれ事情や言い分はあるかと思いますが、この言葉がふたりの決別の深いところを突いているように思えてなりません。

 あまりに率直に本音が語られているだけに、ファンだけでなく多くの人から賛否両論を呼んでいる本書。萩尾さんも積極的に出版したかったわけではないことを考えると、なんとも複雑な気持ちになります。萩尾さんは大泉での思い出を「墓」にたとえ、以下のように綴りました。

「1970~1972年の2年間
夢を見て大泉に集った
漫画家たちがあった。
仕事をし、語り合った。
だが、地雷もあった。
それが爆発して大泉は解散した」

 この言葉を墓碑にすると述べています。どうか彼女の思いを汲んで、今後この墓を荒らす者が出てこないよう、いち読者として祈るばかりです。

[文・鷺ノ宮やよい]

※掲載いたしました内容に一部誤りがございました。お詫びして訂正いたします。

【誤】漫画家の大島弓子さんは、萩尾さんにこう言ったそうです。
【正】漫画家の木原敏江さんは、萩尾さんにこう言ったそうです。

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