小林じんこと『メッセージ』
- 『メッセージ』
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漫画家小林じんこが永眠した。彼女の公式Twitter(現X)アカウントが6月19日に発表した。代表作は『風呂上がりの夜空に』。寡作で、長編連載できちんと完結したのは同作だけかもしれない。筆者は中高生の頃にこの作品が大好きで繰り返し読んでおり、今回久しぶりに通読し直した。
子どもの頃にちょっとした事故で出会っていた松井辰吉と花室もえが高校入学を機に再会、そこからの関係性を軸に描く、強いてジャンル分けするならラブコメなのだが、二人を取り巻く人間模様にも重点が置かれた群像劇でもある。とにかく登場人物ほぼ全員のキャラクターが異様に立っており、多くは基本的に善人でありながらそれぞれの性格の悪いところもきちんと描写されていて、しかしそれがまた魅力的。今なら「見事な伏線回収」などと毎回言われそうな各話ごとの入り組んだ構成も圧倒的。今の目で見るとジェンダー観に疑問を感じるところは少々あるものの、これを週刊連載で成立させていたのが信じられないレベルだ。
中でも第24話「16の接点」の見事さは別格で、これってほとんど映画『メッセージ』の感覚と共通だよな、というか先取りだよな、と思わされた。
『メッセージ』はテッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」(ハヤカワ文庫SFの同名短編集に収録)を原作とした作品だ。世界各地に正体不明の宇宙船が現れ、言語学者の主人公は政府の要請で地球外生命体とのコミュニケーションを行うことに。やり取りを重ねる中で、彼らの言語には時制が存在しないことがわかる。その影響のためか、主人公の脳裏には別の時間帯の記憶がフラッシュバックするようになる。
だが、翻訳された言語に「武器」という単語が現れたため、各国で彼らに対する敵対意識が急激に高まり、全面戦争の危機に突入してしまう。
それと並行し、主人公はフラッシュバックと思っていた時間帯と今現在を実際に行き来していることが判明、その間でもコミュニケーションを取れるように。これが世界規模の危機を回避することとなる展開も見ものだが、時間をシャッフルするタイムトラベルSFとしてのややこしさも楽しめる。
同じく時間シャッフルタイプの作品としてはカート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫SF)が有名だが、こちらは作者自身の戦争体験がフラッシュバックしてしまう症状をタイムトラベルSFとして描いたもので、極めて悲観的だった(同作の映画版はもうちょっと前向きなラストだったように記憶するが)。それに対し『メッセージ』は、時制がない=過去も現在も未来も等価という認識を肯定的に描いてくれる。
『風呂上がりの夜空に』の「16の接点」には、16歳の誕生日を祝ってくれた辰吉に感激したもえが、その想いを手紙に書いて孫に送ろうと思う、と話す場面がある。「今の私と通じ合えたら」「私とその子は同じ時間にいる」「全部現在進行形なんじゃないかと思う」「今こうしていて全部が同時に行われてんじゃないか」と。
同エピソードには並行して、辰吉の母が自分が16歳だった頃の思い出を語る展開もある。辰吉は断片から母の過去を想像するだけだが、ラストでその思い出が母だけでなく当時の父も絡んだものと知る。コマの中を右から左へと走り抜ける16歳の父。手前にその姿を想起する辰吉。辰吉の前髪は、背後を走る過去の父が起こす風でなびいている。わずか一コマで「全部現在進行形」を描いた名場面だ。
『メッセージ』で描かれる時間の概念は『風呂上がりの夜空に』で描かれるものと極めて近い。どちらかがわかりにくい方は、もう片方も見る/読むことで相互補完が可能だろう。と同時に、作者は亡くなっても、その作品はいつでも現在進行形として目の前に現れるものだよな、とも思う。小林じんこ作品、特に『風呂上がりの夜空に』は、今後も繰り返し読むこととなるだろう。
文/田中元(たなか・げん)
ライター、脚本家、古本屋(一部予定)。
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