失踪と心臓移植、その交差点で描かれる愛と命――『たしかにあった幻』
『たしかにあった幻』 2月6日(金)テアトル新宿ほかロードショー
2025年、大阪・関西万博でパビリオンのプロデュースを手がけ話題となった河瀬直美監督。世界的に注目される彼女の6年ぶりとなる待望の新作映画が、本作『たしかにあった幻』だ。「愛のかたち」と「命のつながり」を題材に、日本における失踪者問題と心臓移植の現実を重ね合わせ、オリジナル脚本で描かれた人間ドラマである。
フランスから来日したコリーは、神戸の臓器移植医療センターで働きながら、小児移植医療の促進に取り組んでいた。しかし、西欧とは異なる日本独自の死生観や倫理観の壁は想像以上に厚く、医療体制の改善や意識改革は思うように進まない。もどかしい日々の中で、コリーの心の支えとなっていたのが、屋久島で運命的に出会った恋人・迅の存在だった。だが、彼は自身の誕生日でもある7月7日の七夕の日に、突然姿を消してしまう。
一年後、迅が失踪するはるか以前に、彼の家族からも捜索願が出されていたことを知ったコリーは、迅の実家がある岐阜へと向かう。そこで明かされた事実により、迅との出会いが宿命的なものであったことを知り、愕然とする。一方、心臓疾患を抱え入院していた少女・瞳の病状は急変していく――。
本作を筆者は、いくつもの視点から鑑賞することになった。まず医療従事者として、かつて循環器専門病院に勤務していた経験から、人間の生死は最終的に「心臓が止まったかどうか」で判断されるという現実がある。日本では、家族が延命を強く願い、心臓が動いている限り「生きている」と捉える価値観が根強い。一方、海外では「死の質を高める」という考え方が広く共有されている。宗教や歴史的背景の違いによるものであり、どちらが正しいという答えの出る話ではない。その前提の上で描かれる、小児心臓ドナーという極めて限られた世界は、観る者に重い問いを投げかけてくる。
親の視点で見ると、その問いはさらに切実だ。もし自分の子どもが余命わずかだと告げられたら、ドナーを待つ立場でいることは、誰かの死を待つことと背中合わせになる。また、もし子どもを失ったとき、臓器提供という選択を果たしてできるのか。その想像だけで胸が締め付けられる。
映画であるはずなのに、ドキュメンタリーを観ているかのような錯覚に陥るほど、家族を演じる俳優たちの表現はリアルだ。子どもの前では明るく振る舞いながら、心の奥で押し潰されそうな苦悩を抱える姿が、痛いほど伝わってくる。
そして主人公・コリーの視点を通して、「生きるとは何か」という根源的な問いが浮かび上がる。息をしていることなのか、誰かと共に生きることなのか。恋人の失踪をきっかけに、その問いはより深く、観る者の胸に迫ってくる。
たとえもう会えなくなったとしても、誰かがその人の生きた証を語り、思い出し、感じ続けることで、その命は確かに存在し続ける。本作は、そんな静かで力強いメッセージを内包している。
決して派手な作品ではない。しかし、その静けさの中に宿る強い問いかけは、観る者の心を大きく揺さぶる。ひとりでも多くの人の目に触れてほしいと願わずにはいられない一本だ。
(文/杉本結)
『たしかにあった幻』
2月6日(金)テアトル新宿ほかロードショー
監督・脚本・編集:河瀨直美
出演:ヴィッキー・クリープス、寛一郎、尾野真千子、北村一輝、永瀬正敏 ほか
配給: ハピネットファントム・スタジオ
2025/日本映画/115分
公式サイト:https://happinet-phantom.com/maboroshi-movie/
予告編:https://www.youtube.com/watch?v=Wh2tvqCWKRc
© CINÉFRANCE STUDIOS - KUMIE INC - TARANTULA - VIKTORIA PRODUCTIONS - PIO&CO - PROD LAB - MARIGNAN FILMS - 2025

