もやもやレビュー

世界はおれより悪くなった『タイム・アフター・タイム』

タイム・アフター・タイム(字幕版)
『タイム・アフター・タイム(字幕版)』
ニコラス・メイヤー,ハーブ・ジャッフェ,ニコラス・メイヤー,マルコム・マクドウェル,デイビッド・ワーナー,メアリー・スティーンバージェン,チャールズ・チオッフィ,ケント・ウィリアムズ,アンドニア・カサロス
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 とにかく時間SF作品が多い。小説は当然として、映画もドラマもアニメにも。こうした時間SFジャンルの始祖といえばH・G・ウェルズの小説『タイムマシン』(1895年)だろう。マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』(1889年)こそが元祖だという意見もあろうが、「タイムマシン」というガジェットの発明がジャンル全体に多大なる影響を与えたのは間違いない。最近はタイムマシンを使わずに同じ時間を繰り返すタイムループものが多い印象ではあるが。

 『タイムマシン』自体は1960年と2002年に映画化されているのだが、個人的にはどちらも微妙、というか、もっとひねったアイデアの時間SF作品を先にいくつも見たり読んだりしてしまっているので、仕方のないことだが原点は素朴だよな、と感じてしまったりする。
 そんな中、ウェルズに敬意を表しながらひねりも加えていてちょっとおすすめしたいのが『タイム・アフター・タイム』(1979年)だ。

 本作は小説『タイムマシン』発表の2年前、1893年のロンドンで、H・G・ウェルズが友人たちを集めて独自に開発した機械「タイムマシン」を披露するところから始まる。時間移動できる機械を友人たちは受け入れられないが、その一人がウェルズの目を盗み、タイムマシンを使って別の時代へと消えてしまう。実は彼は当時ロンドンを恐怖に陥れていた殺人鬼・切り裂きジャックその人だった。ウェルズはジャックを追うためタイムマシンに乗り込む。行き先は1979年(本作製作当時)のサンフランシスコ。

 以降しばらく、自身が想像したのとは異なる形で発展した未来世界にイマイチ馴染めず翻弄されるウェルズの様子をコミカルに描写しながら、知り合った女性とのラブコメ的要素も交えつつ物語は展開する。が、その間にもジャックは殺人を繰り返し、ウェルズが馴染めない夜の繁華街などを謳歌する。さらに中盤、ウェルズと対峙したジャックはテレビをつけ、各国の紛争や陰惨な事件を伝えるニュースを見ながら言う。「世界はおれより悪くなった」と。

 これこそが本作の核となるべきところだと思うのだが、ちょっと残念なことに、以降このセリフが意味するところはあまり掘り下げられず、再びウェルズとジャックの追いつ追われつの攻防に。ジャックに狙われるヒロインをウェルズは守れるのかといったサスペンスで盛り上げながら、どうにかこうにか決着へ向かう。少々ネタバレになるのだが、切り裂きジャック事件が未解決のままという歴史的事実や、ヒロインの名前がウェルズの再婚相手と同じといった要素も盛り込んで、だけど過度にオタク的にもならない、ちょうどいい感じで楽しめるものとして締めくくられる。

 ちなみにヒロイン役のメアリー・スティーンバージェンは同じく時間SF映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990年)でもヒロインを演じており、おそらく『タイム・アフター・タイム』を踏まえたキャスティングと推測できるのだが、だったらなんでヒロインの愛読書がウェルズじゃなくてジュール・ヴェルヌなんだよ、という不満も抱いたりする。が、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』の時代設定的に仕方ないのかもしれない(作中の舞台は1885年)。

 なお、『タイム・アフター・タイム』で意味ありげながら掘り下げられない「世界はおれより悪くなった」だが、最後の最後、追い詰められたジャックは戸惑うウェルズに「ひと思いに自分を殺せ」というような表情を見せる。ウェルズと異なり未来の世界を楽しんでいるように見えたジャックですら、絶望を感じさせるものがあったのではないかと思わせる印象的な場面で、繰り返すが本当にここのところをもっときちんと掘り下げていれば『タイム・アフター・タイム』はもっと名高い作品になっていたのではなかろうか。
 とはいえ時間SFジャンルの原点をひねった形で料理した佳作なのは間違いなく、肩の力を抜きながら楽しめる一本ではある。

(文/田中元)

田中元画像.jpeg文/田中元(たなか・げん)
ライター、脚本家、古本屋(一部予定)。
https://about.me/gen.tanaka

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