金正恩の母・高容姫 大阪で育ち北朝鮮に渡った、その生涯を追う
- 『高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書 1497)』
- 五味 洋治
- 文藝春秋
- 1,100円(税込)
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北朝鮮の最高指導者、金正恩総書記の母である「高容姫」。彼女は大阪・鶴橋にあるコリアタウンで育った在日韓国人の出身であるものの、それゆえに北朝鮮の歴史からは抹消され、厳しい監視下に置かれていたことを皆さんはご存じでしょうか。書籍『高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン』は、ジャーナリストの五味洋治氏が彼女の謎多き激動の人生に圧倒的な取材力で迫ったノンフィクションです。
実は現在、金正恩の近親者は日本に少なくとも50名以上はいるとされています。それは実母・高容姫の父と母が、過去に大阪で複数の家庭を持っていたからです。本書では、近畿地方に住む高容姫の片親違いの兄、つまり「金正恩の伯父」への初インタビューに成功。高容姫の父親が韓国の済州島から大阪へと渡った背景、複雑だった家庭環境、大阪・鶴橋での生活などについて詳しく話を聞いているほか、通っていた小学校や住んでいた家についても特定しています。この母違いの兄である遠山氏(仮名)が高容姫と会うのは、法事の際の年に1回程度で、言葉を交わすことはなかったものの、本妻の家と愛人の家は歩いて数分の距離で、周辺の銭湯の入り口で高容姫とばったり出くわすこともあったそうです。
しかしその後、高容姫が10歳だった1962年10月21日、北朝鮮帰国事業により家族とともに北朝鮮へと帰国。続いてその姿を確認できるのが、1973年の「朝鮮画報」というプロパガンダ雑誌の「帰国者だより」というコーナーです。これは北朝鮮のトップレディとなる高容姫の箔付けをする狙いもあった様子。彼女は平壌で音楽舞踊大学を卒業後、朝鮮労働党が直接指導する最も優秀な芸術団の一つである万寿台芸術団に入団し、このころには金正日との関係を深めていました。1975年から隣に座る固定パートナーとなり、翌1976年から同居を始め、1977年には公に姿を見せることはなくなったといいます。
高容姫と金正日の生活、そして高容姫の生涯については長らく秘密のベールに包まれていました。彼女は正妻ではなく愛人でしたが、寝室に入ることが許されていたのは彼女だけで、二人でいるときは常に手を繋いでいるほど仲がよかったそうです。また、彼女は日本にお忍び旅行をすることもあり、子どもたちには日本のことを話し、日本語を教えていたことなどもわかっています。晩年には乳がんを患い、パリの病院で高度な治療を受けたものの、51歳という若さで亡くなりました。
「高容姫の病気は、彼女が在日コリアンの帰国者という不安定な立場のまま、最高権力者の妻となったことで受けたストレスも関係していただろう」(本書より)と五味氏は記します。「夫である金正日をそばで支え、後継者の金正恩を育てた功労者であるはずが、大阪生まれの帰国者という理由で、その存在を国民に向けて明らかにできない」というのも事実であり、五味氏は「どこかの時点で、自分の母親のことを率直に、自分の口で語ってほしい。そうすれば、国民や国際社会の正恩を見る目も変わるはずだ」(本書より)と期待を寄せます。
日本との「血のつながり」という新たな視点は、もしかしたら日本と北朝鮮の関係性に新たな接点をもたらす可能性もあるかもしれません。そうした意味でも、本書は日朝関係の未来を考えるうえで貴重な一冊となりうるのではないでしょうか。
[文・鷺ノ宮やよい]