「全然+肯定」への違和感があった頃の『全然大丈夫』
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何年も前のことですでにそこへ辿り着くことはできないのだが、ウェブ上でたまたま目にした『2001年宇宙の旅』の感想で「CGがすごい」というようなことを書いている人がいた。違うだろ、と思ったが、すでに「この映画の時代はCG技術は全く発展しておらず、全てアナログ特撮によるものだ」といったツッコミがいくつも入っており、ならまあいいかとページを閉じた。
が、今になって思うに「CGがすごい」と書いていた人は、そのツッコミを読んで「あれはアナログ特撮だったのか」と納得したかは怪しい。その人はそもそも「CG」を「コンピュータグラフィックス」の略称としてではなく、アナログを含む特撮全般を「CG」という言葉で表現していたのではないか。
もちろん言葉は変化していくものであり、かつてはその代表例としてよく指摘されていた表現に「全然大丈夫」というものがある。かつては「全然」ときたら「〜ない」というように、打ち消し表現が待ち構えているのが一般的、つまりは「全然」ときたら「大丈夫じゃない」と続く、のが違和感のない表現だったはずだ。
それゆえ「全然大丈夫」は誤用だと言われたりしたのだが、かと思えば「全然」の後にも肯定表現が使われるのは間違いではない、なぜなら著名なこの文学作品などでもそのような用例がある、というような反論もあった。とはいえ「全然+肯定」を使う人のほとんどが本当に過去の用例を参照しているとも思えない。単純に新たな用法として生まれたものだろう。
映画『全然大丈夫』は2007年公開作品。絶望的に不器用な女性(木村佳乃)と、世間的な立ち回りが下手な男たち(荒川良々、岡田義徳)の関係をバカバカしく優しく描いた、2000年前後にやたらめったら使われた表現で書けば「オフビートな笑い」に溢れたコメディだ。劇中に「全然大丈夫」という言葉は一切登場しないが、このタイトルは「全然大丈夫」という言い回しに対する違和感のニュアンスが含まれている、というようなことを公開当時の作品紹介などで目にした、ように記憶する(今回記事を書くにあたり見つけられなかったのであくまで記憶ですが)。
で、本作は実際、鑑賞している間ずっと、「"全然大丈夫"と言われてもこの人たち"全然大丈夫じゃない"んじゃないの?」という気持ちにさせられ続ける内容で、「全然+肯定」に違和感を持つ方がまだ割と多かったであろう時期ならではの絶妙なタイトルだ。
しかしながら公開から20年近くが経過した現在、ウェブ上で感想を漁ってもタイトルの違和感自体に触れているものは見当たらない。「全然+否定」が失われたわけではないが、「全然+肯定」への違和感は世の中からほぼ消えたのだろう。
とはいえ「全然大丈夫」ならニュアンス的なものが多分にあるのでいいとして、アナログも含む特撮全般をCGと表現するのは流石に違うのではないか。
似たようなこととして、この前テレビ番組を流し見していたら、誰かがフェイク画像やフェイク動画に対して「最近はAIでなんでも作れるからね」というような発言をしていた。流し見なだけにそれがいつ放送されたなんという番組での誰の発言なのかはさっぱりわからないが、生成AI以前からそれこそCGを使ってのフェイク画像やフェイク動画はあったにもかかわらず、ここではそうしたものも含めてひとくくりに雑に「AI」と表現していたのではないか? なんてニュアンスを、これまた勝手に受け取ったのである。
こうしたことが積み重なった結果、いずれ次のようなことも起こるかもしれない。ある年配映画ファンが若い映画ファンと『2001年宇宙の旅』について会話を交わす。だが、どうも話が噛み合っていない気がする。お互いがよくよく確認すると、年配映画ファンは劇中に登場するコンピュータ「HAL」のことを、若い映画ファンは特撮のことを「AI」と呼んでいた......。
言葉の意味合いやニュアンスが変化するのは仕方ないが、語源がはっきりしているものまで変容させるのはやめてほしいところです。
文/田中元(たなか・げん)
ライター、脚本家、古本屋(一部予定)。
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