ブラックスプロイテーションに収まらない『110番街交差点』
- 『110番街交差点 [DVD]』
- アンソニー・クイン,アンソニー・フランシオサ,ヤフェット・コットー,バリー・シアー
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クエンティン・タランティーノが監督した『ジャッキー・ブラウン』(1997)の主題歌は、ボビー・ウーマックの「Across 110th Street」だ。マンハッタン110番通りの北側、ハーレム地区の荒んだ暮らしからの脱出を願うその歌詞は、人生逆転を夢見て犯罪に手を染める『ジャッキー・ブラウン』の物語に実にマッチしており、ラストでこの曲が流れると何度見てもグッとくる。
とはいうものの、この曲は元々は同名映画『110番街交差点』(1972)の主題歌である。『ジャッキー・ブラウン』は主演がブラックスプロイテーション映画の大スターのパム・グリアで、演出や物語展開も同ジャンルを再現するもの。そのため、当然ながら『110番街交差点』自体、ブラックスプロイテーション映画だと思い込んでいた。
ちなみに「ブラックスプロイテーション映画」というのはアメリカ在住の黒人観客向けに1970年代に量産された娯楽映画ジャンルで、メインの登場人物は黒人だが、社会問題意識は希薄な低予算作品が多かったように思う。
だが、実際に『110番街交差点』を鑑賞したところ、時代や題材はまさにブラックスプロイテーション映画そのものであるにもかかわらず、そのジャンルには収まらない魅力を持った社会派犯罪映画だった。
物語はハーレムに拠点を持つ白人マフィアのカネが黒人グループに強奪され、差別主義者の白人刑事と真面目な黒人刑事がコンビを組んで事件を捜査、並行してメンツを潰された白人マフィアが黒人マフィアを使って犯人を殺すために追う中、負け犬人生を送ってきた犯人たちは大金と共にこの街からの脱出を目論むという、なかなかに入り組んだ内容だ。
まずもって、白人刑事を演じつつ製作総指揮も務めるのが『道』や『アラビアのロレンス』などの名優中の名優、アンソニー・クインである。彼が出ているだけで、いわゆるブラックスプロイテーション映画では考えられない大作感だ。クインと相棒刑事ヤフェット・コットーとの軋轢や、マフィア間の人種対立、そしてタイトルであり主題歌でもある110番通りを超えて新天地へと旅立てるか否かの心抉られるドラマと、本作はむしろ『夜の大捜査線』や『招かれざる客』のようなメジャー作品と同列に扱うべきブラックムービーと考えた方が良いのかもしれない。
ひとつだけ残念なのは、人種間の軋轢と現状脱出という本作のふたつの軸がうまくリンクしていないことだ。クイン演じる白人刑事が黒人への偏見を払拭していくのだが、だったら現状脱出というテーマも相棒コットーに担わせるべきだったのではないか。それができていればふたつのドラマが直接絡み合い、タイトル通り110番街で交差していたのではないか。現状脱出はクインの偏見払拭とはほぼ無関係に予想外の形での結末を得ることになり、これはこれで感動的なのだが、ちょっと物語がバラバラのまま終わっちゃう印象があるのも否めない。惜しい。
蛇足というか余談というか疑問。『110番街交差点』のサントラと、『ジャッキー・ブラウン』本編および同作サントラに収録されている「Across 110th Street」は全て同一なのだが、『110番街交差点』本編で流れる「Across 110th Street」だけはなぜか別バージョン。『110番街交差点』サントラにも入っていない。これってどういうことなのでしょうか。詳しい方のご連絡をお待ちしております。
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文/田中元(たなか・げん)
ライター、脚本家、古本屋(一部予定)。
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