もやもやレビュー

トレースは悪ではない『サイコ』リメイク版

サイコ ('98) (字幕版)
『サイコ ('98) (字幕版)』
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 ちょっと時間が経ってしまったが、先日、「トレパク」が世間を、というかSNSとネットニュースを中心に騒がれていた。あとは中央線沿線あたりか。一見して確かにあれは問題があり、大ごとになっても仕方ないとは思うのだが、こういうときに現れがちなのが無理筋な擁護、および的外れな批判だ。今回に関しては筆者の観測範囲ではさほど無理筋な擁護は見当たらなかったのだが、的外れなんじゃないかと思われる批判はそこそこあった。「トレパク」という略称フレーズのうち、「トレ」に焦点をあてて批判するスタイルがそれだ。

 そもそも「トレ」はトレースの略称だ。手元の辞書(スマホ用のスーパー大辞林3.0)で「トレース」をひくと複数の意味が紹介されているが、そのうちの「②設計図や原図などの上に半透明の紙をのせて、敷き写しをすること」が今回のものに該当する。トレースとはそういう技術だ、というだけである。にも関わらず、トレースに焦点をあてた的外れな批判は、まるでトレースという行為そのものが悪であるかのようなものだったり、トレースなら自分だってあれぐらい描けると明らかに腕の落ちるイラストをアップロードしてみたりといった間抜けなものが大半だった。では「トレ」を悪とするのであれば、ガス・ヴァン・サント監督の『サイコ』はどうなってしまうのか。

 1998年公開の映画『サイコ』は、アルフレッド・ヒッチコック監督による映画史に残る偉大なるスリラー/ホラー映画『サイコ』のリメイクだ。元々はロバート・ブロックによる原作小説があり、どちらもその映画化なので、通常ならリメイク作品は同一原作を新たに映画化したもの、という形となる。パトリシア・ハイスミス原作の『太陽がいっぱい』と『リプリー』とか、リチャード・マシスン原作の『地球最後の男』と『地球最後の男オメガマン』と『アイ・アム・レジェンド』とか、スティーヴン・キング原作の『シャイニング』映画版とテレビ版とか。他いろいろ。映画オリジナル作品のリメイクも、基本的には脚本を大きく書き直して時代に沿った新作として作られるものだ。

 が、ガス・ヴァン・サント版『サイコ』はそのいずれとも違う手法で作られている。そのことはヒッチコック版『サイコ』をすでに見ているなら冒頭ですぐに気付くだろう。詳細に見比べれば差異はあるのだが、モノクロ映画だったヒッチコック版をカラー化してスタッフキャスト名を入れ替えたただけで、ソール・バスの印象的なデザインとバーナード・ハーマンの印象的な音楽はそのままだからだ。その後の本編も、同じ脚本による同じ展開を、ヒッチコック版とほとんど同じ構図の同じカット割、同じタイミングなど、徹底して同じ演出でなぞっていく。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズも当初はテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』をダイジェストながらほぼなぞりながら、二作目から別展開にズレていくことで観客の意表をついたが、ガス・ヴァン・サント版『サイコ』はそんなこと一切なし。もちろん役者が違うこともあって微妙な動きの違いはあるし、ヒッチコックの時代には技術的にできなかった空撮から室内へのワンカット撮影、ある人物が死の間際に訳のわからないものを幻視するなど、独自のアレンジも加わってはいるものの、やりたいことはヒッチコック版のトレース、それ自体としか思えない。

 結果としてゴールデンラズベリー賞で最低リメイク賞と最低監督賞を受賞することとなってしまうのだが、ここまで見事に再現に徹した作品を作れちゃうのはすごいと素直に思ってしまう。実際、モノクロだからとかいう下らない理由でヒッチコック版を避けていた人が代わりにこちらを見ても、ヒッチコック演出による『サイコ』の見事さ、恐ろしさはおおむね理解できるのではないだろうか。初見の『サイコ』がこちらなのは勿体無いとも思うけど。

 また、ヒッチコック版を愛するファンの気持ちを逆撫でしたのは否めないとしても、エンドクレジットには「SPECIAL THANKS TO」として「PAT HITCHCOCK AND THE ESTATE OF ALFRED HITCHCOCK」、および「IN MEMORY OF ALFRED HITCHCOCK」という文言が入っており、制作にあたってきちんと筋を通していることがわかる。ちなみにPAT HITCHCOCKはヒッチコックの娘で、ヒッチコック版『サイコ』ではヒロインの同僚役として前半にその姿を見ることができる。

 翻って先日のトレパク騒動だが、要するに問題点は「トレ」ではないということを言いたかったのである。筋を通していなかったがゆえに生じた「パク」こそが問題なのである。一応事後報告による許諾は得られている様子だが、それって迷惑系YouTuberが店内の食品をその場で食べて後から金払ったから問題ねえだろというやり方にも通じてしまいかねない気がしないでもない。長年のファンとしてはとにかくうまいこときちんと対応して再起していただきたいところ。元迷惑系YouTuberのその後みたいなことにならない方向で。

田中元画像.jpeg文/田中元(たなか・げん)
ライター、脚本家、古本屋(一部予定)。
https://about.me/gen.tanaka

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