【無観客! 誰も観ない映画祭 第37回】ロジャー・コーマン追悼企画その6『コーマン帝国』
- 『コーマン帝国(続・死ぬまでにこれは観ろ!) [Blu-ray]』
- ロジャー・コーマン,ジュリー・コーマン,ジーン・コーマン,ロバート・デ・ニーロ,ジャック・ニコルソン,マーティン・スコセッシ,ロン・ハワード,ジョナサン・デミ,ピーター・フォンダ,アレックス・ステイプルトン,ロジャー・コーマン
- キングレコード
- >> Amazon.co.jp
- >> HMV&BOOKS
〜追悼 「B級映画の帝王」ロジャー・コーマン〜
今年5月9日、「B級映画の帝王」「低予算映画の巨匠」といった異名を恣(ほしいまま)にしたハリウッドの名プロデューサー、ロジャー・コーマンが死去しました(享年98歳)。『アッシャー家の惨劇』(60年)などのエドガー・アラン・ポー原作作品を数多く手掛け、無名時代のジャック・ニコルソンが出演していた『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(60年)、デヴィッド・キャラダイン主演でブレイク直前のシルベスター・スタローンも出ていた『デス・レース2000年』(75年)など、SF・ホラー・アクションを中心に300本を超える作品をプロデュース、うち50本を自ら監督しました。彼に見い出された、というより安い賃金でコキ使われた(笑)若手スタッフ・俳優の中には、ジェームズ・キャメロン、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、スティーヴン・スピルバーグ、ジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダ、ロバート・デニーロなど錚々たる顔ぶれが牙を磨いていたのです。このコラムではその偉大な業績に敬意を表し、数回に渡って作品を紹介していこうと思います。
***
『コーマン帝国』
2011年(日本公開2012年)・アメリカ・125分
監督/アレックス・ステイプルトン
出演/ロジャー・コーマン、マーティン・スコセッシほか
原題『COMAN'S WORLD:EXPLOITS OF A HOLLYWOOD REBEL』
***
ロジャー・コーマン追悼企画をノリノリで書いてきて、気が付けば半年に及ぶロングラン。いい加減、終わらせようと我に返り(笑)、最後はロジャー・コーマンのドキュメンタリー映画で締めたいと思います。
筆者が観てきた洋画の8割がSFやホラーですが、ロジャー・コーマンの名を意識したのは、高校を卒業してから読み漁ったSF映画誌や書籍によってでした。やたらと出てくる「ロジャー・コーマン」というキーワードに、「俺、この人が関わった作品をたくさん観てる」と気付いたのです。金星ガニのラブリーな姿に強烈なインパクトを受け、エドガー・アラン・ポー原作『恐怖の振子』(61年)ではブンブン振られながら降りてくる巨大な刃にビビリまくり、『デス・レース2000年』(75年)でデビッド・キャラダインを知りました。
そんなロジャー・コーマンですが、世界の映画史に偉大な足跡を残しているにも関わらず正当な評価を受けて来ませんでした。何せ「B級映画の帝王」ですから、並みいる巨匠らに比べメディアの扱いがぞんざいなのです。しかし、映画の神様は見捨てませんでした。2009年、ついにその功績が認められたコーマンは、本人も驚きのアカデミー名誉賞を受賞したのです。この快挙を受けて製作された『コーマン帝国』には、彼が育てた映画人が総登場してインタビューに答え、コーマン語録は再び作品を観賞する際のテキストとして楽しめるものでした。
本作は、撮影当時にコーマンが製作中だった『ディノシャーク』(10年)のメーキングから始まります。鮫と海生爬虫類を混ぜ合わせたような古代生物が氷山の中から蘇る話で、このCG時代に美女が実物大のハリボテに食われたりします。ワニが出るフロリダの航行禁止区域に船を出してゲリラ撮影を敢行し、スマホのアンテナが立っていない海上で連絡用に使うのは、オモチャ屋で買ったトランシーバー。これがしょっちゅう途切れる様子は、さすが低予算映画です。コーマンはモンスター映画について「最初の殺しはショッキングに。絶頂に向け激しさを増し、最後は血みどろだ」などと持論を展開し、思わずフムフムと聞き入ってしまいます。
伝説の暴走族ヘルズ・エンジェルスを題材に、無名のピーター・フォンダを主役に抜擢した『ワイルド・エンジェル』(66年)は、本物のヘルズ・エンジェルスをエキストラにゲリラ撮影。続けてフォンダ主演の『白昼の幻想』(67年。原題『ザ・トリップ』)は、コーマンと脚本を書いたジャック・ニコルソンが、「トリップとはどんな感じなのか」と2人でLSDを服用して研究したエピソードなど、どしどし面白い裏話が出てきます。
だがデンジャラスな作風とは裏腹に、コーマンはインテリジェンス溢れる人物でした。無名時代『血まみれギャングママ』(70年)に出演したロバート・デ・ニーロは、「イギリス人のように礼儀正しく、あんな映画を作る人には見えない」。『デス・レース』のリメイクを監督したポール・W・S・アンダーソンは、「オックスフォードやケンブリッジなどイギリス名門大学の教授みたい」。コーマン製作『明日に処刑を...』(72年)で監督のキャリアを積み始めたマーティン・スコセッシは、「作品から、会う前は机を叩いて怒鳴るイメージだったが、上品で几帳面で冷静沈着だったのは想像できなかった」と語ります。これについてコーマンは「私の見た目は平凡と言われるが、心の中は煮えたぎる地獄のようなものさ」とアンサーを出しました。
またコーマンは海軍にいた2年を「人生最悪の2年」と称し、自分は反体制だと語ります。その反骨精神は1954年に仲間と起ち上げたAIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)での初監督作品『荒野の待伏せ』(55年。原題『アパッチ・ウーマン』)から炸裂します。「汚れた先住民の女め」と差別する白人に、白人とネイティブのハーフ女性が「あんた、殺すよ」と立ち向かいます。そして、親や権力と揉める十代の鬱屈が爆発する『ティーンエイジ・ドール』(57年)、『ごろつき酒場』(同年)などの大手映画会社が見逃していたティーンエイジャー映画を生み出し、若者のハートもガッチリ掴んだのです。
さて、そんなロジャー・コーマンが唯一マジメに(笑)作った社会派作品『ザ・イントゥルーダー』(62年)が紹介されます。主演は『スタートレック』のカーク船長役でお馴染みのウィリアム・シャトナー。人種差別反対主義者でもあるコーマンは、当時の黒人は白人と食堂・水飲み場・学校などを共用できない人種分離政策を映画で批判したのです。だがコーマンは社内の反対を受けたため自主制作となり、差別が激しい南部のロケ地では住民の嫌がらせや脅迫を受けながら撮影を敢行し、試写会では群衆や映画館の従業員までもが騒いで暴動寸前だったそうです。「これでは自由の国ではない。誰かが言わなくては」と負けなかったコーマンですが、彼の映画で利益が出なかったのはこの作品だけだったそうです。だが映画評論家達は高く評価し、弟ジーン・コーマンは「最高傑作さ。時代が早すぎた」と述べます。
その後、本来の作品(笑)へと戻っていくコーマンですが、教え子の中から続々と名優・名監督が輩出されていく中、本人は大衆から「ゲテモノ映画」と侮辱されながらも頑なにB級映画を貫きます。終盤、スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(75年)大ヒットにコーマンは、「『スター・ウォーズ』もそうだが、我々が作る10万ドルの映画を大手が理解し数百万円ドルで作るようになった。これじゃ我々に勝ち目はない」と本音を吐露します。一方スピルバーグは、これは劇中では語っていませんが、コーマンの『ピラニア』(78年)は「ジョーズ模倣映画の中で最高傑作」と絶賛しているようです。
ラスト、コーマン夫妻はアカデミー賞名誉賞の授与式へと向かいます。会場にはビッグネームとなったコーマン門下生が詰めかけ、作品に多大なる影響を受けたクエンティン・タランティーノが祝辞を贈るため待ち構えていました。ありがとう! 偉大なるB級映画の帝王、ロジャー・コーマン!
【著者紹介】
シーサーペン太(しーさー・ぺんた)
酒の席で話題に上げても、誰も観ていないので全く盛り上がらないSF&ホラー映画ばかりを死ぬまで見続ける、廃版VHSビデオ・DVDコレクター。「一寸の駄作にも五分の魂」が口癖。