感情に対抗できるのは、論理よりもノリなんです。『(500)日のサマー』
- 『(500)日のサマー [DVD]』
- ジョセフ・ゴードン=レヴィット,ズーイー・デシャネル,ジェフリー・エアンド,マシュー・グレイ・ガブラー,マーク・ウェブ
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この映画は長い間、意味不明でした。めちゃくちゃ面白いし、主演のふたりも大好きです。でも、頭を悩ます種になっていたのは、ズーイー・デシャネルが演じたサマーでした。
恋に夢見る青年トムが、恋に奔放な女性サマーと過ごした、幸福と悪夢の500日間。男性はトムの肩を持ちたくなると思います。いくら最初に「あなたとは真剣に付き合えない」と明言されても、デートやベッドに入れば、軽い気持ちも変わりはじめるだろう......そんなことないんです。変わらないんです、トムが求めたような全身全霊、相思相愛のような関係にはなれないんです。だって、サマーは「論理」ではなく「感情」で動いているから。
トムは、頭で好きな子の行動を考えようとします。「誘惑的な言葉+楽しかったデート=こりゃ恋人だろ」みたいに。でも、それは机上の空論にすぎません。サマーの根本にあるのは、「気分」や「感情」だからです。論理もくそもありません。その時々の自分の気持ちに合っているか。それだけです。
もちろん世の中には、「2人で遊んだりするのは好きな人とだけ」という、トムと同じタイプの女性もいると思います。ですが、この映画が世界的にヒットしているのは、多分そういうことです。良いか悪いかではなく、サマーのような女性が、世間にはわりとたくさんいるのではないでしょうか。作品の終盤でサマーは他の男と結婚しますが、それも「その時、結婚したい気分だったから」だと思います。(ここまで書いてなんですが、こんな風に読解することこそ、サマーには無駄!)
だから、トムに言いたい。君もサマーになれば良かったんじゃないか、と。気分で動く子には、ただその時のテンションで瞬発的にあわせる。運命を押しつけるんじゃなく、彼女の気分が乗るのを気長に待つ。乗らなかったら、バイバイ。留まることのない感情に、固定的で重い想いは流されていくばかりです。サマーのような子には「目には目を」の付き合いが吉では。
(文/伊藤匠)