夏の動詞「泳ぐ」の短歌で言葉の海を泳ぐ

いよいよ梅雨も明け、夏本番。「心の花」編集委員の佐佐木頼綱(ささき・よりつな)さんが、「泳ぐ」ことを詠った短歌を紹介します。

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暑くなってきましたね。午後の町に出るとプール帰りの小学生たちとすれ違うようになってきました。海や川にゆく予定が入っている方も多いのではないでしょうか。夏の動詞、「泳ぐ」の短歌を読んで一緒に言葉の海を泳ぎましょう。
躍(をど)り入り抜手切れどもここの海の渦巻く潮(うしほ)の力深しも

北原白秋(きたはら・はくしゅう)『雲母(きらら)集』


力強く海を泳ぐ一首です。遠泳をしているところでしょうか。二句目までが動詞で構成され、懸命に泳ぐ作中主体が想像できます。三句目以降は海水の流れの表現。いくら手を搔(か)いても進まないのでしょう。読者の息も苦しくなりそうです。一首の華となっているのは初句の動詞「躍り入り」でしょう。同じ動詞でも「波を蹴り」では近すぎるし、「白波に」などの名詞では普通の歌になってしまいます。
シャワー室にくりくり白き息子の尻水泳パンツを脱がせば跳ねて

佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな)『瀧の時間』


父・幸綱が私の尻を描いた一首。日焼けした体と対照的な「くりくり白き」という色彩描写が鮮やかです。そして「跳ねて」とじっとしていない少年の騒がしい動きを結句に持ってきたことで一首に微笑ましさと躍動感を与えてくれます。
父には海やプールによく連れて行ってもらいました。文学的な意味とは少し外れますが、この歌は私にとっては父の視線を借りて愛情を確認できる楽しい一首でもあります。
仰向きて長く泳げば身に重く支ふるかたなき頭蓋と思ふ

古谷智子(ふるや・ともこ)『ロビンソンの羊』


水泳の得意な作者が背泳ぎをしている一首。水中にいる時の身体感覚を捉えています。日常生活で頭部の重さを気にする機会は少ないわけですが、泳ぎ疲れた体にはずっしりと頭蓋の重さが伝わってきたのでしょう。「頭部」ではなく「頭蓋」という表現からは少し不気味な感じも伝わってきます。頭蓋の中の脳や心の重量を想像させるのでしょう。
■『NHK短歌』2019年7月号より

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