猫はなぜ落ちても足から着地できるのか 一流科学者たちが300年追い続けた「科学的パラドッ クス」

「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた 「ネコの空中立ち直り反射」という驚くべき謎に迫る
『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた 「ネコの空中立ち直り反射」という驚くべき謎に迫る』
グレゴリー・J・グバー,水谷 淳
ダイヤモンド社
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 猫は高いところから落ちると、最初にどんな姿勢であっても必ず足から着地するという驚きの能力を持っている。猫好きなら一度は目にしたことのある光景だろう。しかし、その軽やかなひねりの仕組みを正確に説明しようとすると、途端に話は難しくなる。

 この猫の空中回転、いわゆる「猫ひねり」の謎を追ったのが、物理学者グレゴリー・J・グバー氏による『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』(ダイヤモンド社)だ。本書は、猫の落下に潜む複雑な運動を、物理・数学・生理学など多様な視点から丹念にたどり直している。

 物理学には「角運動量保存則」という基本原理がある。外から力を受けない限り、物体は自ら回転を始めることはできない。では、回転していない状態で落とされた猫は、なぜ空中で向きを変えられるのか。

 この素朴な疑問に初めて説明を試みたのは、なんと300年以上前の数学者だった。

「人々の記憶にはほとんど残っていないフランス人数学者のアントワーヌ・パランが、一七〇〇年にこの猫の謎に世界で初めて物理的な説明を与えた」(本書より)

 パランは、落下する猫を「水中で浮力を受ける球体」として扱い、背中を反らせることで重心がずれ、身体が回転すると考えた。当時は猫のすばやい動きを正確に捉える手段がなく、科学者たちは観察と数式を頼りに、目に見えない運動を推測していたのである。

 状況が一変したのは19世紀末。生理学者エティエンヌ=ジュール・マレが連続写真の技術を用い、落下する猫を撮影した。それまで理論上の議論にとどまっていた「猫ひねり」が、初めて視覚的事実として提示されたのだ。

「この落下する猫の写真は、単に新たな写真術の実力を見せつけるだけのために撮影されたのかもしれないが、聴衆の反応はそれとまったく不釣り合いだった」(本書より)

 写真が突きつけた現実は、当時の力学の常識と真正面から食い違っていた。その小さな矛盾は研究者たちのあいだに波紋を広げ、猫の落下は「科学的パラドックス」として語られるようになる。

 議論の中には、特殊相対性理論を生み出したアルベルト・アインシュタインの名も挙がる。彼は、自由落下する物体は無重量状態にあるという視点から、物体がどのように姿勢を認識しうるかを考察した。

 猫の運動という身近な現象が、空間や運動の本質へと接続していく展開は、本書の大きな読みどころである。

 「猫ひねり」をめぐる議論は、物理学だけにとどまらない。マレ氏の連続写真から始まり、数学者の厳密な解析、生理学者による反射機構の研究、さらには宇宙飛行士の無重量状態の姿勢制御にまで議論が広がっていく。

 この小さな現象が、いつの間にか多様な分野へと研究を広げていったことも興味深い。

 さらに本書では、「猫の舌」という意外なテーマも紹介されている。ざらざらとした舌の表面に並ぶ小さなフックは中空構造になっており、毛細管現象によって効率的に液体を口に運ぶ仕組みを持つという。

 著者は、物理学者の思考の「クセ」についてこう指摘する。

「問題が複雑になるにつれて攻略法も進化してきたが、物理学者はたった一つの『原因』を見つけたいという衝動を最初から植え付けられている」(本書より)

 しかし自然は、必ずしも一つの理由だけで動いているわけではない。猫の立ち返り反射も、複数の動きを組み合わせることで成り立っている。

 この視点を象徴するのが、生理学者ドナルド・マクドナルドである。彼は「猫ひねり」を、単一の動きではなく、状況に応じて動作を組み合わせる柔軟な仕組みとして理解した。

「猫は正しい姿勢に戻るための方法をたった一つ選ばなければならないわけではなく、最適な効果を得るためにあらゆる選択肢を使えるということだ」(本書より)

 本書には物理学の話題が多く登場するが、例や図を挙げながら丁寧に説明されているため、専門知識がなくても読み進めることができる。

 しかし本書の魅力は、難解な理論を解説することよりもむしろ、「問いを持ち続けること」の面白さを伝えてくれる点にある。

 時代も分野も異なる天才たちが、同じ小さな謎に惹かれ、互いに補い合いながら思考を重ねていく。その姿は、科学が本来持つ探求の楽しさそのものだ。

 本書を通して、何気ない猫の動きにもこれまでとは少し違う奥行きが見えてくる。身近な現象の背後には、想像以上に豊かな世界が潜んでいることに気づかされるだろう。

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