新宿に潜伏していたと思った犯人が自転車で日本一周!? 脱走犯たちが語る事件の真実

逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白 (小学館新書 425)
『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白 (小学館新書 425)』
高橋 ユキ
小学館
946円(税込)
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 「逃走犯」と聞くと、マンガや小説にある劇的な物語をともなった存在としてイメージする人もいるかもしれない。しかし実際には、創作物の中で描かれる「リアリティ」と現実で起こる「リアル」な展開との間には大きなギャップがあるようだ。今回紹介する書籍『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』(小学館)では、著者の高橋ユキ氏が取材を重ねた逃亡犯たちの実態が詳細に記録されている。世間を騒がせたさまざまな逃亡劇を通して、犯人たちを取り巻く環境や司法制度の「リアル」が見えてきた。

 大阪府の富田林警察署で勾留中だった男が脱走した事件を覚えているだろうか。強盗致傷罪や強制性交等罪など、いくつもの罪を重ねたとされる山本輝行氏(仮名)。彼は弁護士との面会後に室内のアクリル板を壊して脱走を試み、日本一周を目指すサイクリストに扮して関西、四国、中国地方と1000km以上を49日かけて移動した。

 身柄を拘束された被疑者が面会人と接見する際、通常であれば警察官も面会室に入る。しかし面会人が弁護士の場合は、刑事訴訟法にのっとり警察官は入室しない。また平日は面会室の外で署員が待機する決まりだが、土日や夜間は面会人による任意の報告で接見終了を把握するしくみが取られている。山本氏が面会をおこなった日は日曜の夜間。彼は事前に「面会終了時は自分で署員に伝える」と話していたため、弁護人から署員への声かけはなし。面会室のドアには入退室を知らせるブザーが設置されていたものの、電池が入っておらず機能していない状態だった。

 さらに当時の担当署員は禁止されているスマホを持ち込み、山本氏の接見中に長時間アダルトビデオを閲覧していたこともわかっている。結果として、山本氏が弁護人と接見を終えてから約1時間45分もの空白の時間ができてしまったのだ。

「当日は富田林署の不手際も重なり、山本は逃走に十分な時間をかけることができた。面会室のアクリル板を蹴破り、隙間から這い出して、富田林署の外に出た。サンダルを脱ぎ捨て、盗んだ靴を履き、前代未聞の逃走劇の幕が開いた」(同書より)

 手錠も腰縄もされていなかった山本氏は、逃走する最中にロードバイクを窃盗。そのまま西に向かい、各地にある道の駅などを訪れながら現地の人々にまぎれ、堂々と交流し続けた。警察は女装しての逃走も視野に入れながら山本氏を捜索していたが、なかなか成果はあがらない。

「女装して新宿に潜伏している説に捜査員が引っ張られ、それをメディアが報じるなか、当の山本は騒動をあざ笑うかのように自転車旅を装い、逃走を続けていた」(同書より)

 山本氏は度重なる職務質問も回避し、うまく捜査網を掻い潜っていたが、逃走劇の終わりは意外にもあっけないものだった。山口県内の道の駅で食料品を盗もうとしたところを万引きGメンに捕らえられ、現場に着いた警察官に山本氏だと気づかれたのだ。

「警察官が気づいたきっかけは、ウサギの刺青だった。山本はバックヤード内で、左のふくらはぎ付近を手で押さえて離さなかったのだ。不審に思った警察官が手をよけさせて確認すると、刺青が見えた」(同書より)

 警察側の不備から始まり、犯人の軽率な行動によって終わった脱走劇。小説や映画などであれば少し拍子抜けしてしまうような展開で、あまり納得はいかないだろう。「リアル」と「リアリティ」の違いが感じられる一件かもしれない。

 なお高橋氏は同書で、日本の「保釈」にまつわる問題点も指摘している。先の事件で再び身柄を拘束された山本氏は、高橋氏とのやりとりのなかでたびたび保釈保証金の支援を要求した。保釈保証金とは被告人の保釈を可能にするために、裁判所が請求する費用のこと。通常なら一度支払った保証金はのちに返還されるが、被告人が保釈中の規則に反すると没収される。

 本来であれば、保釈保証金は保釈中の行動を律する制度として機能するはずだ。しかし、まれに返還資格を放棄してまで逃亡を図る者がいるのも事実。日本では保釈後に被告人の行動を制限するしくみが確立していないため、アメリカなどで導入されているGPSを使った監視システムの導入も議論されている。しかし日本と欧米諸国では起訴に対するハードルや保釈に対するスタンスも異なるので、単純には善し悪しを判断できない。被害者の安全と被告人のプライバシー保護を天秤にかけ、より良いバランスの策を講じるにはまだまだ時間が必要なようだ。

 同書では、今回触れた内容のほかにもさまざまな脱走事件を紹介。高橋氏の直接取材により得られた現場の様子や周囲の人々の声、犯人による手記の内容などが綴られている。世間を騒がせた逃走劇の真相に興味があれば、ぜひ手に取ってもらいたい。

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