『耳をすませば』を高校生男子3人で観に行ったときの話
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『耳をすませば』は言わずと知れたジブリ制作の青春映画である。宮崎駿から将来を嘱望されつつも亡くなった近藤喜文監督の作品だ。当時、高校生だった僕は、学校をさぼって悪友2人と布施の映画館に行って観た。そして、涙した。青春の真っ只中にいるのに、こんな恋愛も熱中する何かも持っていないことに絶望したのである。
大阪の下町に住んでいた僕らは、聖蹟桜ヶ丘の郊外の景色にも憧れた。何もかもが僕らにはないものだった。どよーんとした空気のなか、映画館を出た僕らは、とりあえず、学校に戻る気もなく、家に帰ることにした。
それまで、僕らはダメ人間共同体という結社を作っていたのだが、そんなことしていていいのだろうか、と話し合った。もっと人生を真剣に生きなければならないのであろうか、と討論した。もちろん、3人とも彼女のかの字も知らなかった。その日、ダメ人間共同体は解散した。でも、相変わらず、学校を抜け出して、タバコを吸ったり、僕はと言えば、いつもの落語研究会の部室(畳敷で寝転べて居心地がよい)に授業をさぼって入り、寝転びながら本を読んだりして過ごしていた。
先日、実家に帰って、高校の通知表を見る機会があったのだが、遅刻、早退の数が尋常じゃない数値を表しており、よくこれで卒業できたな・・・という感想しか出なかった。これに授業の中抜けも含まれるわけだからどう考えてもダメ高校生である。
しかし、受験という段階になって、ダメ人間共同体元メンバーの佐野くんが、宣言した。俺は大学に行かない。司法書士になるので、勉強すると。それで僕もギアを入れた。結局、僕も中途半端な勉強で、中途半端な大学に滑り込み、なんとかやりたかったライターになった。佐野くんは数年後司法書士に合格、なんとか人生の体裁を取り繕うことができた。
もうひとりは、行方不明である。
『耳をすませば』を観ると、いつも行方不明の彼を思い出す。
(文/神田桂一)