サザエさん時空以前を描く江莉チエミ版『サザエさん』
- 『サザエさん』
- 青柳信雄,笠原良三,江利チエミ,柳家金語楼,藤原釜足,小泉博,清川虹子,青山京子
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「サザエさん時空」なる言い回しがある。作中で連載時の時代は反映されながらも、登場人物たちの加齢は無視されているタイプの作品を形容する表現で、その名称の元となった『サザエさん』はもちろん、『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』等々、主に1話完結スタイルのギャグ作品に多く用いられる手法だ。「サザエさん時空」なる表現がいつ頃から使われるようになったのかは不明だが、おそらく30年ほど前に流行した「謎本」=漫画をメインとするフィクションの作中の矛盾を無理矢理辻褄あわせて解釈する、今でいうところのほとんど妄想に過ぎない「考察」の原型のようなところから生まれたものではなかろうか。そういえば謎本流行の最初のヒット作は『磯野家の謎』(飛鳥新社)だったようにも記憶する。
しかしながら謎本ブーム以前からメインの読者や視聴者である子どもたちはこうした作品群をそういうものとして受容してきたのであり、「サザエさん時空」などと名付けて「考察」を重ねるというのは、本人たちは知的遊戯のつもりでも、傍から見ると言っちゃなんだが非常に野暮な行為に思えてしまう。
さらに書けば、テレビアニメ版『サザエさん』でさまざまな設定を把握した後で長谷川町子による原作漫画版『サザエさん』第一巻を手に取ると、それまでに見知っていた『サザエさん』と異なる家族構成に面食らう。原作最初期、磯野家に赤ん坊がいるのだが、その子をタラオと思って読んでいるとワカメであり、マスオが出てこないと思っているとサザエは独身。「サザエさん時空」に囚われていないサザエさん世界がそこにある、というわけである。
実写版『サザエさん』もこれまでに数々作られてきたが、その中でも特に有名でありながら、案外見られていない江莉チエミ主演の劇場用映画版『サザエさん』(1956)もまた、「サザエさん時空」に囚われていない作品だ。
ここでのサザエは成人したものの家事手伝い。両親(=波平とフネに該当するが当時はきちんと設定されていなかったらしく表札は「磯野松太郎」となっている)には嫁の貰い手がないのではと心配されている。ほどなくしてサザエは就職。初出社の際に雑居ビルでオフィスを間違え、よその会社のフグ田マスオと名乗る好青年と出会うサザエ。やっと辿り着いた就職先では、アニメ版主題歌の歌詞のごとく、あるいはそれ以上の失敗続きで初日でクビに。だがマスオのツテで探偵社に採用されると、たまたま従兄弟のノリスケの素行調査を依頼され大活躍。というようなお話が、アニメ版よりはやや過剰、しかし原作におけるノリスケの洒落にならないイタズラ(※1)ほどにはやばくないレベルで、テンポは微妙ながらアイデア豊富に描かれる。
劇中ではこのように「サザエさん時空」以前の物語が展開するのだが、ヒットを飛ばしたのであろう、続編が次々制作されシリーズは全10作にも及びながらも、『サザエさんの結婚』が5作目、タラオが生まれる『サザエさんの赤ちゃん誕生』が8作目といった具合で、彼らが「サザエさん時空」に囚われるのはまだまだ先のこと。
また、先述のあらすじや各タイトルからもわかるとおり、本シリーズでは一般に知られている馴れ初め(※2)とは異なる、サザエとマスオのラブコメという世にも珍しいものがじっくり描かれており、そういう意味でも貴重なシリーズと言えるかもしれない。
なお、「サザエさん時空」を「考察」して楽しむのは各自の自由だが、そうであれば見逃すべきではない作品がある。2015〜16年にかけて放送されたテレビアニメ『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』がそれだ。同作は漫画、アニメ、特撮番組等に登場したキャラクターたちが同一世界に存在していたら、という仮定の元に戦後現代史を描く、いわばアラン・ムーア原作のアメリカンコミック『ウォッチメン』日本版ともいうべき作品なのだが、その中の一エピソードに「不老不死の大家族」が登場する。モデルとなっているのは明らかに磯野家であり、しかもこの回の脚本を担当しているのは、テレビアニメ版『サザエさん』初期メインライター辻真先氏。いわば公式が暗黙的に「サザエさん時空」をいじり倒しているとも言える。
他にも数年後の磯野家を描いた演劇版やら企業CMやら、「サザエさん時空」に囚われない『サザエさん』はあっちにもこっちにも存在しているわけで、「サザエさん時空」を意味する表現は「サザエさん」以外にした方が妥当なんじゃないかな、なんてことを思ったりもする。現状、放送局がやらかした影響でテレビアニメ版が本当に終了する可能性だって十分あり得るんだし。その結果、謎本ブーム以前に小中学生を中心に流布した「海外旅行中に飛行機が墜落し、搭乗していた磯野家は全員それぞれの名前の由来となった魚介類の姿となって海に帰る」という「サザエさん時空」を脱したかのような最終回の噂話が復活するかもしれないし。
※1 ノリスケが交番に大きめのボール大のモノが包まれた風呂敷を持ってきて、これ拾ったんですがと警官に渡すふりして落下させると、風呂敷から赤い液体がじわーっと滲み出し、警官がバラバラ殺人の頭部かと慌てふためいている間にノリスケは逃亡、おそるおそる風呂敷を解くと中にはスイカが入っていた、というようなもの。
※2 サザエとマスオは見合いで初めて出会うが、周囲の目が恥ずかしいからその場で結婚を決めてしまう、『よりぬきサザエさん』だか『別冊サザエさん』だかに収録されている、通常の四コマとは異なり数ページに渡るエピソード。
(文/田中元)
文/田中元(たなか・げん)
ライター、脚本家、古本屋(一部予定)。
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