映画はリアルじゃなくてリアリティでいい。『地獄の黙示録』
- 『地獄の黙示録(字幕版)』
- フランシス・フォード・コッポラ,ジョン・ミリアス,フランシス・フォード・コッポラ,マーロン・ブランド,マーティン・シーン,ロバート・デュヴァル,ローレンス・フィッシュバーン,サム・ボトムズ,フレデリック・フォレスト
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ゴッドファーザーシリーズで知られるフランシス・フォード・コッポラ監督が、とてつもない予算を投じて制作したベトナム戦争映画、それが、『地獄の黙示録』だ。この映画については、その映画の構造分析から、ストーリー解析、バックグラウンドのいざこざ、それが映画に与えた影響など...すでに多くが語られすぎているので、僕が言えることは果たしてあるのかどうか自分でも疑問だが、とりあえずは語っていきたいと思う。
僕は、ストーリー重視の映画にまったく惹かれない。映画を観ていると、むしろストーリーなんて入ってこないのだ。これは、僕の頭が悪いからかもしれないが、映画の本質が、映像にあるということの証左でもあるように思う。
映画とは、映像の集まりである。当たり前のことだが、この映像にいかにリアリティがあるかによって、人は画面に惹きつけられる。はっきりいって、『地獄の黙示録』にストーリーなんてない。その映像の緊迫感と美しさで3時間画面に釘付けにする。フィリピンに広大なセットをつくり、ベトナム戦争を再現したという。有名なナパーム弾のシーンや、ベトナム人の集落を急襲するシーンなどは、観たことがないのに、リアリティを感じてしまう。
僕はこの説明をするときにいつも野球ゲームのパワプロを例に出すのだが、あのゲームは、見た目的にはまったくリアルではないが、野球というゲームを再現するにあたって、とんでもなくリアリティがあるゲームシステムを採用している。話せば長くなるので、パワプロで検索してみてほしい。
ベトナム戦争のリアリティとは何か。それを画だけでもっとも体現した映画が『地獄の黙示録』だ。
(文/神田桂一)