枠の中で暴れることから「非道」は始まる。
『非道に生きる』
- 『非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)』
- 園 子温
- 朝日出版社
- 1,034円(税込)
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「この監督は狂ってる」
園監督の作品を観た人の多くはそんな感想を持つのでは。今まで自分が持ってた考えが、つぶさに殲滅されてしまう感覚。そんな体験をさせる作品を作った人が「どうかしてない」はずがない(と僕は思ってました)。
しかしそのような考えが大間違いであったことを『非道に生きる』を読んで悟りました。園監督、非常に「戦略家」です。ここでいう戦略家とは「計算高い」という、そのままの意味ではありません。「ぶっ壊す事を想定した上で計画を立てる」という、あくまで「非道」を貫くための戦略家という意味です。
一例として、園監督が1986年に『男の花道』でPFF(ぴあフィルムフェスティバル)のグランプリを取った時のエピソードを。この作品は園監督が17歳で家出した時の自分を描いた作品なのですが、「絶対にこの作品でグランプリをとってやる」と考えた監督。その当時の選者(大林宣彦監督など)を意識し、完全なる傾向と対策をした上で、わざと「泣けるドラマ」にしたということです。「自分が作りたいもんを作る。賞なんて興味ねぇ」みたいな監督像を勝手に作っていた自分にとっては意外すぎるお話でした。
ですが、このようなお話は園監督が「外道ではなく、非道であること」をきちんと証明していました。だって、普通に映画を作りたいだけなら内輪ウケだけを狙った(道からは外れた)学生の思い出ムービー的なものでもいいわけですから。ちゃんと最初にターゲット(上記で言えば選者の方たち)を狙った上で、そこに自分の表現したいもんをブチ込む。枠の外で騒ぐのではなく、内に入った上で破壊する。これは映画製作に限らず、作品や表現を人前に出す時には大事なことではないかと思います。
「新しい場に挑むときは、ちゃんとルールを知らなくちゃね」
破天荒すぎる数々のエピソードの中からそんなメッセージをぶん投げられたような気がします。お勧めです。
(文/伊藤匠)