剣を持った右手を抑える左手――極限状態で働く理性

大岡昇平の『野火』の終盤には、主人公である田村一等兵が、死ぬ間際の将校と短く言葉を交わす場面が描かれます。ここで描写される極限状態にある人間の行動、作家・法政大学教授の島田雅彦(しまだ・まさひこ)さんが読み解きます。

* * *

道端に横たわった将校は、ほぼ譫妄(せんもう)状態にあってうわ言をつぶやきながら、田村に向かって、「何だ、お前まだいたのかい。可哀(かわい)そうに。俺(おれ)が死んだら、ここを食べてもいいよ」といい、痩せた左手を挙げ、右手でその上膊(じょうはく)部を叩いたあと、息絶えていきます。
田村はまずその死体をうつ伏せにし、草の上を引きずって窪地までわざわざ運んでいく。そうしてはじめて「誰にも見られていないと思うことが出来た」。そして襦袢(じゅばん)をめくってしばらく見ていると、蠅と蛭がみるみるたかってくる。そこで田村が考えたのは、「今私の前にある屍体の死は、明らかに私のせいではない」ということと、「これは既に人間ではない」ということの二点でした。その考えに助けられたのか、田村は死体から蛭を除き、上膊部の皮膚を二、三寸ほど露出させ、右手で剣を抜きます。
その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。
 (中略)
「汝(なんじ)の右手のなすことを、左手をして知らしむる勿(なか)れ」(※)
声が聞えたのに、私は別に驚かなかった。見ている者がある以上、声ぐらい聞えても、不思議はない。
声は私が殺した女の、獣の声ではなかった、村の会堂で私を呼んだ、あの上ずった巨大な声であった。
「起(た)てよ、いざ起て……」と声は歌った。
私は起ち上った。これが私が他者により、動かされ出した初めである。
剣をいざ振るおうとする右手を、左手が抑える。まるで内なる悪魔と天使の戦いのような光景です。先の文脈に沿わせれば、右手が本能、左手が理性であり、自身の中でその二者が戦っていると言い換えてもいいでしょう。
この、右手を左手が握るという動作自体は、武士道の世界でもあることです。礼儀作法は、基本的に武士道の発想から来ています。人に向かって立ってお辞儀をする際、相手に敵意を持っていないと示す意味で、右手の上に左手を重ねる。むろん、これは右利きの場合です。「右手で刀を抜かない」という意思表示なのだと、私はかつて小笠原流礼法の人から習いました。右手で抜きやすい位置に差した刀の鍔(つば)を、左手で押さえるのも同じ意味です。武士も、人間同士の戦いにおいては人間を狩る狩人と考えることができますが、武士には厳しい倫理規範があります。『野火』のこの箇所を読み直したとき、連関してこのことを思い出しました。
また、余談になりますが、1972年、ウルグアイ空軍機がアンデス山脈に墜落した航空事故がありました。乗っていたラグビー選手団やその家族、それに乗員の計45名のうち、29名が亡くなったのですが、墜落してから救助されるまでの2か月半のうちに食糧が枯渇し、生き残った人々が人肉食を行っていたことが公にされたのです。
彼らはキリスト教徒であり、それを「聖餐(せいさん)」と呼ぼうとしました。アンデス山中で凍(い)てつく寒さですから、死体は凍る。凍ったその死体から、最も柔らかい臀部の肉を削ぎ切って、それを機体の残骸に乗せ、日中の太陽の熱で温めて食べたそうです。生存者のひとりがのちに著した『アンデスの奇蹟』に、このエピソードが綴られています。
※『新約聖書』「マタイ伝」第六章第三節。もとは「施し」の際の態度の戒め。「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである」(新共同訳)
■『NHK100分de名著 大岡昇平 野火』より

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