現役最年長棋士、桐山清澄九段が自身を語り尽くす
- かつて弟子と指した盤駒に向かう 撮影:内田晶
昭和から平成へ幾多の大勝負を戦い抜いたレジェンドが棋士人生を振り返るインタビューシリーズが、『NHK将棋講座』の別冊付録でスタートしました。第1回は現役最年長棋士の桐山清澄(きりやま・きよずみ)九段が入門の思い出から中原誠十六世名人との戦いそして令和の今を語ります。本稿では、その中から幼少期から内弟子生活までを抜粋してお伝えします。
文・写真/内田晶
* * *
■初めて開いた新聞に導かれて
桐山は1947(昭和22)年10月7日、奈良県吉野郡下市町で生まれた。少年の頃の記憶ははっきりとは残っていない。将棋との出会いも後に両親から聞かされた逸話を元にしているのだと言う。
「将棋を覚えたのは幼稚園のころだったようです。自宅に祖父が作った将棋盤がありましてね。当時は娯楽が少なくて、よく縁台将棋が指されていましたから、将棋盤も一家にひとつはありましたよね。記憶があいまいなんですが、おそらくそれを見て興味を示したのではないかと思います」
ある日、蕁麻疹(じんましん)が出て幼稚園を休むことになった。寝ていた桐山少年は退屈だったのだろう。体調が回復してくると布団から出て自宅を徘徊(はいかい)した。居間で見つけた新聞を何の気なしに広げたのが運命だったのかもしれない。たくさんの記事の中から将棋欄に目がとまる。食い入るようにその将棋を目で追いかけた。
「これも後に聞かされた話ですが、私は覚えていなくて。夢中になったわけですから、よっぽど将棋が好きだったんでしょうね」
将棋の記憶で最も古いのが、町なかで行われていた縁台将棋の風景だと言う。大人たちが真剣な表情で向き合っている姿に刺激を受けたのだろうか。どの時代であっても子どもは大人がやっていることに興味を示すもの。桐山少年は勇気を振り絞って、その輪の中に飛び込んだ。
「この記憶はちゃんと残っていまして。ただ、勝ち負けは覚えていません。おそらく初めはたくさん負けたはずですが、やめませんでした。将棋が楽しいと感じたのでしょうね」
小学生になってからはアマチュア初段の近所の方に手ほどきを受けるようになった。強くなるにつれて地元で強豪と呼ばれる人ともたくさん指した。
「どんな内容だったかは忘れてしまいましたが、小さいポケット版の本を親が買ってくれて、それをいつも読んでいました。それ以外は実戦オンリーといった感じで、たくさん指すことで強くなっていったのです。どのようにして強くなったか? 自分ではわかりません。ひたすら指すことの繰り返しでした」
■伝説の棋士との出会い
小学3年生の夏、思いも掛けない運命の出会いが待っていた。今や伝説の棋士として語り継がれている故・升田幸三実力制第四代名人が桐山少年の故郷である奈良にやってきたのだ。これをきっかけに将棋にプロの世界があることを知ることになる。
「升田先生の奥様のご実家が隣町でして、ご夫婦で里帰りされたときのことです。私の住んでいた町の旅館のご主人が升田先生と知り合いで、先生を紹介してくださって。プロになりたいなら、うちにきてもいいですよと言ってくださいました」
小学4年になると同時に奈良を出て、東京の升田実力制第四代名人の家に内弟子として行くことになった。地元では天才少年の存在が有名になり、新聞で紹介された。
「当時はプロ棋士になろうという自覚がまだなかったです。修業という感じではなくて、将棋の偉い先生の元で大好きな将棋がたくさん指せるという思いだけでした」
上京してすぐに将棋連盟の初等科に入会。奨励会の下の組織で、現在の研修会に当たる。当時の桐山少年はまだ奨励会に入るだけの棋力がなかった。
「36級で入りまして。初等科で6級になれば奨励会に6級で入会できる仕組みです。気が遠くなると思っていたら、すぐに18級と言われましてね。幹事の先生方が協議した結果だったようです。初等科がない日は学校から帰ったら近くの将棋道場に行って実戦を指して腕を磨いていました」
だが、初等科で17級に昇級すると、後のタイトルホルダーに〝ホームシック〞という病が襲いかかる。升田家での生活自体に不満はなかったのだが、言葉の違いに悩まされた。
「私は当時からコテコテの関西弁でして。東京の小学校ですから周りとあまりに違っていて、ずっと気にしていました。それがイヤで学校に行くのが苦痛になってしまって……」
上京した年の7月、わずか3か月の内弟子生活があっけなく終わった。
「毎日のように涙で枕をぬらしていたのを見た升田先生が、このままでは無理だと判断されました。ただ、東京を離れるにも大きな問題がありましてね」
桐山少年が向かったのは故郷の奈良ではなく大阪だった。奈良を離れるときに将来の名人候補として盛大に送り出してもらった手前、3か月でやすやすと帰るわけにはいかないといった事情があったのである。
「実家には帰りにくかったので大阪の叔母の家にやっかいになることになって。大阪なら同じ関西ですし言葉も気になりませんから」
※続きはテキストでお楽しみください。
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
■『NHK将棋講座』2021年4月号より
文・写真/内田晶
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■初めて開いた新聞に導かれて
桐山は1947(昭和22)年10月7日、奈良県吉野郡下市町で生まれた。少年の頃の記憶ははっきりとは残っていない。将棋との出会いも後に両親から聞かされた逸話を元にしているのだと言う。
「将棋を覚えたのは幼稚園のころだったようです。自宅に祖父が作った将棋盤がありましてね。当時は娯楽が少なくて、よく縁台将棋が指されていましたから、将棋盤も一家にひとつはありましたよね。記憶があいまいなんですが、おそらくそれを見て興味を示したのではないかと思います」
ある日、蕁麻疹(じんましん)が出て幼稚園を休むことになった。寝ていた桐山少年は退屈だったのだろう。体調が回復してくると布団から出て自宅を徘徊(はいかい)した。居間で見つけた新聞を何の気なしに広げたのが運命だったのかもしれない。たくさんの記事の中から将棋欄に目がとまる。食い入るようにその将棋を目で追いかけた。
「これも後に聞かされた話ですが、私は覚えていなくて。夢中になったわけですから、よっぽど将棋が好きだったんでしょうね」
将棋の記憶で最も古いのが、町なかで行われていた縁台将棋の風景だと言う。大人たちが真剣な表情で向き合っている姿に刺激を受けたのだろうか。どの時代であっても子どもは大人がやっていることに興味を示すもの。桐山少年は勇気を振り絞って、その輪の中に飛び込んだ。
「この記憶はちゃんと残っていまして。ただ、勝ち負けは覚えていません。おそらく初めはたくさん負けたはずですが、やめませんでした。将棋が楽しいと感じたのでしょうね」
小学生になってからはアマチュア初段の近所の方に手ほどきを受けるようになった。強くなるにつれて地元で強豪と呼ばれる人ともたくさん指した。
「どんな内容だったかは忘れてしまいましたが、小さいポケット版の本を親が買ってくれて、それをいつも読んでいました。それ以外は実戦オンリーといった感じで、たくさん指すことで強くなっていったのです。どのようにして強くなったか? 自分ではわかりません。ひたすら指すことの繰り返しでした」
■伝説の棋士との出会い
小学3年生の夏、思いも掛けない運命の出会いが待っていた。今や伝説の棋士として語り継がれている故・升田幸三実力制第四代名人が桐山少年の故郷である奈良にやってきたのだ。これをきっかけに将棋にプロの世界があることを知ることになる。
「升田先生の奥様のご実家が隣町でして、ご夫婦で里帰りされたときのことです。私の住んでいた町の旅館のご主人が升田先生と知り合いで、先生を紹介してくださって。プロになりたいなら、うちにきてもいいですよと言ってくださいました」
小学4年になると同時に奈良を出て、東京の升田実力制第四代名人の家に内弟子として行くことになった。地元では天才少年の存在が有名になり、新聞で紹介された。
「当時はプロ棋士になろうという自覚がまだなかったです。修業という感じではなくて、将棋の偉い先生の元で大好きな将棋がたくさん指せるという思いだけでした」
上京してすぐに将棋連盟の初等科に入会。奨励会の下の組織で、現在の研修会に当たる。当時の桐山少年はまだ奨励会に入るだけの棋力がなかった。
「36級で入りまして。初等科で6級になれば奨励会に6級で入会できる仕組みです。気が遠くなると思っていたら、すぐに18級と言われましてね。幹事の先生方が協議した結果だったようです。初等科がない日は学校から帰ったら近くの将棋道場に行って実戦を指して腕を磨いていました」
だが、初等科で17級に昇級すると、後のタイトルホルダーに〝ホームシック〞という病が襲いかかる。升田家での生活自体に不満はなかったのだが、言葉の違いに悩まされた。
「私は当時からコテコテの関西弁でして。東京の小学校ですから周りとあまりに違っていて、ずっと気にしていました。それがイヤで学校に行くのが苦痛になってしまって……」
上京した年の7月、わずか3か月の内弟子生活があっけなく終わった。
「毎日のように涙で枕をぬらしていたのを見た升田先生が、このままでは無理だと判断されました。ただ、東京を離れるにも大きな問題がありましてね」
桐山少年が向かったのは故郷の奈良ではなく大阪だった。奈良を離れるときに将来の名人候補として盛大に送り出してもらった手前、3か月でやすやすと帰るわけにはいかないといった事情があったのである。
「実家には帰りにくかったので大阪の叔母の家にやっかいになることになって。大阪なら同じ関西ですし言葉も気になりませんから」
※続きはテキストでお楽しみください。
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
■『NHK将棋講座』2021年4月号より
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