ポスト全体主義とは

演説するハヴェル 写真:アフロ
第二次世界大戦後、チェコスロヴァキアの人々は40年にわたる共産主義の圧政に苦しんでいました。戯曲家のディシデント(反体制派/異論派)、ヴァーツラフ・ハヴェルは、自分たちの暮らしている全体主義の分析を試みていきます。チェコ文学者、東京大学准教授の阿部賢一(あべ・けんいち)さんが、ハヴェルの考察を解説します。

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■ポスト全体主義がもたらす思考停止状態

全体主義体制という表現を聞くと、ある特定の人物に権力が集中し、ほかの人々はその人物の意向に粛々と従っている、という図式を思い浮かべるかもしれません。ですが、そのような「古典的独裁」は、少数の人が暴力を用いて多数派を支配するものであり、歴史に根付いたものではない、というのがハヴェルの見方です。そして、かれは自分たちの状況を「古典的独裁」とは違うと分析します。当時のチェコスロヴァキアなど、ヨーロッパの社会主義体制には、19世紀の労働運動、社会運動といった歴史的背景があり、強固な土壌があったからです。
そこでハヴェルは、「古典的独裁」に代表される全体主義との違いを明確にするために、自分たちが属する体制を示す表現として「ポスト全体主義」という言葉を用いました。そして、その「ポスト全体主義」の根幹を成すものとして「イデオロギー」に注目します。
イデオロギーは本質的にきわめて柔軟であるが、複合的で閉鎖的な特徴から世俗宗教のような性格を帯びている。どのような質問に対してもすぐに答えが出される。その答えは単なる一部として受け止めることができず、人間という存在の奥深くにまで介入してくる。形而上的、実存的な確実性が危機に瀕している時代にあって、寄る辺なさや疎外を感じ、世界の意味が喪失されている時代にあって、このイデオロギーは、人びとに催眠をかけるような特殊な魅力を必然的に持っている。さまよえる人びとに対して、たやすく入手できる「故郷」を差し出す。あとはそれを受け入れるだけでいい。そうすれば、ありとあらゆるものが明快になり、生は意味を帯び、その地平線から、謎、疑問、不安、孤独が消えてゆく。
「イデオロギー」という言葉を聞くと、真っ先に政治思想や社会思想のことを思い浮かべます。しかしハヴェルはこの文章で、そうした政治学的な意味合いで「イデオロギー」を語ってはいません。共産主義や社会主義の理念には一言も触れず、イデオロギーの「性質の分析」をしているところに、かれのユニークさが現れています。
ハヴェルは、宗教と比較することで、一般市民の視点から見たイデオロギーの定義を示そうとします。宗教は、さまざまな疑問や悩みを解決してくれる万能なものであると同時に、人々の「生」の中に介入してくるものです。そして、ポスト全体主義体制におけるイデオロギーも、それと同じ性質を持っていると指摘します。人々は、家族や自分の信念に心の拠り所を見出すのではなく、体制の掲げるイデオロギーという理念に盲従していくことで、自分の「故郷」、つまり居場所を見出します。そして、次第に思考停止の状態に陥り、外交や内政だけではなく、自分の生き方にいたるまでありとあらゆる事柄をイデオロギーに託すことになるのです。
ですが、その「故郷」には対価を支払わなくてはなりません。その対価が、自身の「理性、良心、責任」です。「理性」とは自分で考え、判断すること、「良心」とは自分の心が訴えること、そして「責任」とは自分の行為に対する応答です。故郷に居続けるということは、これらを放棄することを意味するのです。
では、こうした対価を払うと、一体何が起きるのでしょうか。
■『NHK100分de名著 ヴァーツラフ・ハヴェル 力なき者たちの力』より

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ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』 2020年2月 (NHK100分de名著)
『ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』 2020年2月 (NHK100分de名著)』
阿部 賢一
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