大統領になった戯曲家、ヴァーツラフ・ハヴェルの「ディシデント」としての人生

写真:PPS通信社
1980年代後半、ソ連のゴルバチョフ書記長が東欧諸国への内政不干渉を打ち出したことを契機に続々と民主革命が起こりました。東欧革命と呼ばれるこの歴史の流れの中で、1989年にはチェコスロヴァキア(当時)の首都プラハでも体制転換が起こり、グスターフ・フサークの共産党独裁政権に代わってヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に選出されます。
検閲、監視が横行し、145人もの歴史家を追放したフサーク政権下で、ハヴェルは大統領に異論を申し立てる「ディシデント」として活動していました。チェコ文学者、東京大学准教授の阿部賢一(あべ・けんいち)さんが、ハヴェルのディシデントとしての人生を振り返ります。

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ハヴェルの人生は、外部から押しつけられた障害をどのように乗り越えていくか、という難問を生涯にわたって解こうとし続けた人生だと言えるかもしれません。
1936年10月5日、ハヴェルが生を享(う)けたのは、プラハのきわめて裕福な家庭でした。プラハの中心部ヴァーツラフ広場の大通りの中ほどに現在も残るルツェルナ宮は、かれの祖父が手がけた建物です。第二次大戦が終わり、社会主義体制になると、ブルジョア家庭の出身であることを理由に、ハヴェルは自分が望む道をことごとく阻まれます。通常の学校に通うことは認められず、15歳になると、日中は化学研究所で見習い助手として働き、夜間学校へ通う日々を過ごしました。大学も希望する人文系学部への進学が認められず、工科大学に籍を置くことになります。チェコと同様、ハヴェルもまた、自らの人生を「主体的」に歩むことができなかったのです。
その後、1960年代に戯曲家としてデビューしたものの、68年にはプラハの春から一転し、「正常化」の時代を迎え、思うような活動ができなくなってしまいます。自分の意思に従って世界が動くことはなく、自分の前にはつねに障壁ばかりがあると感じていたことでしょう。とりわけ、70年代の正常化体制にあって、その無力感は想像を絶するものだったと思います。それゆえ、かれの書く文章はけっして直線的な思考にはなっておらず、我々読者に、一文ずつ丁寧に読むことを求めるものになっています。そして、『力なき者たちの力』も、簡潔でありながらとても重層的な一節から始まります。
東ヨーロッパを幽霊が歩いている。西側で「ディシデント〔反体制派/異論派〕」と呼ばれる幽霊が。
この一文は「ヨーロッパを幽霊が歩いている。共産主義と呼ばれる幽霊が」という『共産党宣言』の冒頭を下敷きにしたものです。ハヴェルの思考の手順は、問題ないと思われている表現に注目し、表現に埋もれたいくつもの意味の層を浮かび上がらせるという点に特徴があります。ここではまず、共産主義のマニフェストを下敷きにすることで、社会主義体制そのものを否定するものではないのだ、という姿勢を明らかにします。次いで、本来使われていた「共産主義」という言葉を、「反体制派」「異論派」を意味する「ディシデント」という表現に置き替え、全体の意味をずらしていきます。さらに、「共産主義」から置換されることで、かつて「共産主義」という言葉が持っていたのと同じくらいの「力」を「ディシデント」が持っている、ということを暗示します。
しかし、この「ディシデント」は幽霊です。姿をはっきりと見ることもできなければ、どのような「力」を秘めているのかも分かりません。そこで、ハヴェルは「ディシデント」が生まれた環境、つまり自分たちの暮らしている全体主義の分析を試みていくのです。
■『NHK100分de名著 ヴァーツラフ・ハヴェル 力なき者たちの力』より

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ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』 2020年2月 (NHK100分de名著)
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