敵方の臣下を「諫言」専門の側近に取り立てた李世民

理想的な政治を行い、名君としての名が語り継がれている唐の第二代皇帝・李世民。その治世は長い中国の歴史で四回しかなかったとされる盛世(せいせい)、すなわち、国内が平和に治まり繁栄した時代のひとつといわれています。その陰には、皇帝を支えた臣下の尽力がありました。立命館アジア太平洋大学学長の出口治明(でぐち・はるあき)さんに、代表的な三人の功臣を紹介してもらいました。

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李世民は皇帝として国を治めるにあたり、有能な臣下を数多く登用しました。中でもとくに有名なのが、房玄齢(ぼうげんれい)、杜如晦(とじょかい)、魏徴(ぎちょう)の三名です。彼らは『貞観政要』にもしばしば登場します。
房玄齢と杜如晦は、李世民が即位する前から彼に仕えていた側近です。玄武門の変にも加わっています。唐の諸制度をつくり上げた房玄齢は、貞観の治の立役者の一人。唐の成立当初は人材の養成や推薦に努め、組織編成に尽力しました。杜如晦の才能を見抜いて李世民に推挙したのも彼です。その杜如晦は、政治や軍事面で力を発揮しました。
一方、魏徴はもともとの臣下ではなく、いわゆる外様(とざま)です。はじめは李世民の兄の李建成に仕えていたのですが、彼の死後、李世民に才能を見出され、登用されました。李世民は、自分に敵対したかどうかではなく、その人物の行動の根本原理を見て、重用するかどうかを決めていました。
魏徴は、かつて仕えた李建成に、「あなたの弟の世民は能力も野望も桁外れだから、早く殺しなさい。さもないとあなたが殺されます」と言い続けていました。しかし、優柔不断な李建成はその進言を受け入れることができず、結局は殺されてしまう。犯罪人として捕らえられた魏徴は李世民に、「あなたの兄上がもっと賢かったら、私は罪人にならずに済んだものを」と言ったそうです。これを聞いた李世民は、直ちに彼を側近として使うことを決めます。自分の殺害を計画した者の臣下であっても、実力があれば積極的に側に置いたのです。上に立つ者の過失を遠慮なく指摘して忠告することを「諫言(かんげん)」と言います。魏徴は、この諫言を仕事とする諫議大夫(かんぎたいふ)という役職に就きました。そして、李世民が誤った政策を進めようとしたり、リーダーとしてやるべきことをやっていなかったりしたときには、進んで忠告を行いました。こうした事情もあって、『貞観政要』でもっとも多く登場する臣下です。
僕は、モンゴル帝国の第五代皇帝クビライを史上もっとも有能なリーダーの一人だと思っているのですが、彼は生涯にわたって自分にとっての「魏徴」を探し続けたといわれています。あれだけの大帝国をつくった大人物でありながら、自分にはまだ足りないところがあるかもしれないと思っていた。そして、それを指摘してくれる人を求めていた。魏徴のような人物は、とても稀有(けう)な存在なのです。
■『NHK100分de名著  呉兢 貞観政要』より

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呉兢『貞観政要』 2020年1月 (NHK100分de名著)
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出口 治明
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