京都の秋祭を詠む

『NHK俳句』の講座「京ごよみ彩時記」では、「汀(みぎわ)」主宰の井上 弘美(いのうえ・ひろみ)さんが、京都の生んだ歳事や伝統工芸、料理などをご紹介しながら、季語の魅力を探ります。2019年10月の兼題は秋祭の季節を美しく彩る「紅葉(もみじ)」です。

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■時代祭

時代祭華(はなや)か毛槍(けやり)投ぐるとき

高浜年尾(たかはま・としお)



10月22日は時代祭。京都の三大祭(他の二つは葵祭・祇園祭)を締め括る祭で、平安神宮の祭礼です。平安神宮は明治28(1895)年に「平安遷都千百年記念祭」が行われた時に創建されました。そのとき、記念行事の一つとして行われたのが「時代祭」です。この祭は時代風俗絵巻とも言うべきもので、綿密な時代考証に基づいて装束などが整えられました。10月22日は桓武天皇が遷都を行った日です。
行列は正午に御所の建礼門を出発、参加者二千人、行列の長さは二キロに及びます。時代祭を支えているのは京都市民で、学生も多く参加しています。冒頭の句は大名行列の先頭を行く奴(やっこ)が、「毛槍」を高く投げ合って交換する場面。掛け声とともに投げ上げた「毛槍」が秋の空にふわりと広がり、祭を盛り上げます。こうして、行列は平安神宮まで四・五キロの道程を華やかに彩ってゆきます。
(今年は即位礼正殿の儀と重なるため、時代風俗行列は10月26日に行われます)

■鞍馬(くらま)の火祭

「時代祭」の10月22日の夜、洛北鞍馬では勇壮な火祭が行われます。これは、鞍馬寺の鎮守社の由岐(ゆき)神社の祭礼で、京都三大奇祭(他の二つは安良居〈やすらい〉祭・現在は休止中の牛祭)のひとつ、千年以上の歴史を誇っています。
鞍馬街道に夕闇が降りるころ、「神事にまいらっしゃれ」の声によって、氏子町内の各家では一斉に門口に篝火を焚きます。それを合図に、美しい襦袢(じゅばん)を羽織り、前掛けに武者草鞋(わらじ)姿の子どもや、少年達が松明(たいまつ)を担いで、火の粉を撒(ま)き散らしながら街道を練り歩きます。
男衆の肌火祭の色となる

後藤立夫(ごとう・たつお)



火祭のゐさらひ美(は)しき漢(おとこ)かな

橋本榮治(はしもと・えいじ)



子どもや少年たちが祭を盛り上げて、8時ごろになると青年や大人たちが重さ百キロ、約四メートルもある大松明を数人で担ぎ出します。掲出句の「ゐさらひ」は尻の古語。男たちは締め込み姿で襦袢を羽織り「サイレイ、サイリョウ」と囃(はや)しながら街道を練り歩くのです。松明はおびただしい数で、手松明を持って付き従う人々を酔わせます。狭い街道は妖(あや)しいまでに炎と熱気に染まってゆくのです。
火祭や焰(ほのお)の中に鉾(ほこ)進む

高浜虚子(たかはま・きょし)



午後9時過ぎ、鞍馬寺仁王門の石段の下に大小三百本余りの松明が結集し、石段の奥に張られた注連縄(しめなわ)が切り落とされると、松明がひと所に投げ捨てられ、大きな火焰(かえん)となって夜空に噴き上がります。その巨大な焰に街道にひしめく人々が歓声を上げていると、二基の神輿(みこし)が石段を降りて来るのです。
やがて街道の上手から鞍馬太鼓を打ちつつ、剣鉾の行列がやってきます。太鼓の音が地響をたてる中、剣鉾が高々と揺らぎつつ鈴音とともにやってきます。虚子の句はその様子を捉とらえています。虚子が火祭を見たのは明治37年です。年譜によると、この時虚子は松根東洋城(まつね・とうようじょう)たちと火祭を見たあと、翌日は比叡山で月を眺め、さらに翌日、坂本に降りて琵琶湖で湖上の月を眺めたようです。
■『NHK俳句』2019年10月号より

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