膨大な資料をもとに、戦後の漫画家や出版業界について描き切った一大評伝

手塚治虫とトキワ荘
『手塚治虫とトキワ荘』
中川 右介
集英社
2,090円(税込)
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 「手塚治虫とトキワ荘」と聞くと、多くの人はこうしたイメージを抱くのではないでしょうか? 「手塚治虫が暮らしていたボロアパートに漫画家志望の若者たちが集まり、ときにマンガへの熱い想いを語り、ときに助け合いながらマンガを描き、やがて世間に認められ大成していった」――。

 しかし、事実は必ずしもこの通りではないとのこと。たとえば、手塚治虫がトキワ荘に暮らしていた時期には、藤子不二雄Aも藤子・F・不二雄も、石ノ森章太郎も赤塚不二夫もまだ入居していませんでした。もうひとつ言えば、トキワ荘はけっしてボロアパートだったわけではなく、手塚治虫が入居したのは新築時だったといいます。

 「『よく知られている物語』ほど、実像とは異なるイメージが流布するものだ」と述べるのは、『手塚治虫とトキワ荘』の著者・中川右介さん。本書は「伝説のベールを一枚ずつ剥ぎ取り、事実関係を整理する」という目的のもと、手塚治虫とトキワ荘グループと呼ばれる巨匠たちの業績を再構築し、日本マンガ出版史を解読した一冊となっています。

 驚くべきは、本書のボリューム。二段組みの上に、あとがきまで含めるとおよそ400ページ近くにもなります。しかし、話を大げさに盛ったり、長々と余計なことを書いたりなどはいっさいナシ。膨大な数の資料をもとに、手塚治虫やその周りの漫画家たち、さらに彼らをとりまく編集者や出版社にいたるまで、事実に即したものごとやできごとを淡々と記しているのが特徴です。

 でも、それならただの研究発表のようで、読んでいてもつまらないのではないか? そんなふうに思う人もいるかもしれません。けれど、非凡な才能を持った者たちの集まりだからか、これがどのエピソードも興味深くて引き込まれるものばかりなのです。

 たとえば第二章「学年誌戦争」に登場する「手塚治虫の九州逃避行」のくだり。あまりの多忙さから手塚治虫が九州に逃亡したことがあるというのは有名な話ですが、当時手塚は11作もの連載を同時に抱えていたとか、手塚の身柄を確保するためさまざまな出版社の担当編集者たちが奔走したとか、松本零士のもとに突然、手塚から手伝いを乞う電報が届いたとか、こうした細かな情報を知るにつけ、読んでいるほうも手に汗握る気分に......。

 現在、日本のポップカルチャーのアイコンともいえるマンガですが、戦後、日本の復興とともに、いかに漫画家と編集者が情熱を注いで盛り立ててきたのか、本書はそれがわかる一冊となっています。トキワ荘にこれだけ才能あふれる漫画家たちが集まったという奇跡の裏側を、ぜひ皆さんものぞいてみてください。

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