「凍結」と「解凍」──戦争の腐乱死体

2つの大戦間において人類学者・社会学者の視点から、この世界のありようを見つめ続けたロジェ・カイヨワ。戦争と人間の本質的な関係を分析した著書『戦争論』の出版から半世紀余りが経ちました。この間には相当に大きな変化が起きています。国際関係や社会の形態にも大きな変化があり、また軍事技術に関しても長足の進歩があって、それが戦争というものの性格をさらに大きく変えています。哲学者の西谷修(にしたに・おさむ)さんがカイヨワの『戦争論』をふまえつつ、その後の変化を視野に入れて、現代の戦争について考察しました。

* * *

核兵器の相互保有によって、冷戦体制は国家間対立というより、西側の資本主義国群と東側の社会主義国群との二大陣営の対立という、強固な枠組みになりました。「冷戦」は英語でいえばCold War ですが、核を抱えて対峙する大国同士は実際には戦争(War)ができない。もし戦争になれば、双方の破滅を招きますから、もはや勝利はない。その意味では、核兵器は戦争を「不可能」にしたのです。それによって戦争は「凍結」されたのだといってもいいでしょう。
この状況は「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction 略称MAD!)」として理論化されました。双方が相手の先制攻撃を受けても確実に同等の反撃ができるようにしておけば、全面破壊は相互的になり、それが先制攻撃を無効にするという考え方です。そうすると、双方の核兵器保有数や軍事技術開発の競争は、それ自体が不条理になるまでエスカレートしていくほかありません。それが「恐怖の均衡」を生み出しました。いわゆる「抑止力」論の究極です。この状態はソ連や東欧諸国が崩壊する1990年頃まで、約40年間続きます。これは「できないという形で続いていた世界戦争の第三幕」だったといってもいいでしょう。
その「凍結」が解除されたとき、「凍結」前の状況がそのまま残っていたかといえば、そんなことはありません。わたしはこのことを考えるとき、エドガー・アラン・ポーの『ヴァルドマアル氏の病症の真相』という短編小説を思い起こします。
ある催眠術師が、人が死ぬ直前に術をかければ、死を留められるのではないかと考え、知人のヴァルドマアル氏の同意を得て、瀕死の床で術をかけます。ヴァルドマアル氏は死の間際に催眠状態に入り、そのまま時が過ぎます。けれども、これは実験ですから、そのままにしておくわけにもいきません。数か月後のある日、催眠術師が語りかけると、動かないはずのヴァルドマアル氏が、声ともいえない異様な声を絞り出し、もう術を解いてくれと言います。そこで催眠術師が術を解いた途端、ヴァルドマアル氏はたちまちにして留められていた死に侵され、腐敗のプロセスが一気に進んで、その体は液状になってしまった──。そんな物語です。
冷戦という「凍結された戦争」が解凍されたとき、戦争の基本構造はもはや維持できませんでした。国家同士が国民を動員して戦うという国際秩序は溶解し、ユーゴ内戦のように、あちこちで形のない抗争が噴出しました。それをわたしは「戦争の腐乱死体」と呼んでいます。戦争はもはや以前の姿ではなく、形の崩れた異様なものになったのです。
「凍結」の間、大国間に戦争はなかったとはいえ、地域的な戦争はかなりの規模と頻度で起きていました。その多くはかつて西洋諸国の植民地だったアジアやアフリカの国や地域で、米ソ二大国の陣営固めに絡んだものでした。旧植民地の独立は、「世界戦争」の背後にある大きな動きの一つでしたが、それも冷戦構造の影響を受けたのです。
第二次世界大戦後には各地で独立闘争が起こり、西洋の宗主国と現地の貧しい武装住民との間で、激しい抗争がありました。その典型は1954年から8年以上続いたアルジェリア戦争です。宗主国フランスはこのコストに耐えきれず、アルジェリアの独立を承認しました。そのようにして1960年代前半にはアジア・アフリカに多くの独立国が生まれます。ただし、冷戦下ですから、宗主国はいわゆる資本主義国である西側、その宗主国と戦う人たちを武器供与や軍事介入などで支援するのは東側です。したがって、独立した多くの国は社会主義国になりました。
その国がアメリカの勢力圏に近いと、独立した国の「共産化」を防ぐためアメリカの諜報機関CIAが暗躍し、政権が転覆されたり、内戦になったりしました。いくつもの地域が米ソの「代理戦争」の舞台となったのです。CIAは第二次世界大戦後に正規の軍から独立してつくられた諜報工作機関で、その後の戦争の変質に深く関わってゆきます。
1950年にすでに朝鮮戦争が起きていますが、最も知られている「代理戦争」はベトナム戦争でしょう。インドシナ戦争(1946~54)で宗主国フランスから独立したベトナムが南北に分裂したのち、64年にアメリカは「トンキン湾事件」をフレーム・アップして北ベトナムへの直接攻撃に踏み切ります。第二次世界大戦で世界中に落とされた量に匹敵するほどの爆弾を、10年間でこの小国に集中して投下し、一時は50万もの米軍兵士を送り込んだにもかかわらず、アメリカは勝てませんでした。73年の撤退決定を経て、戦争は75年に終結、翌76年に南北統一が果たされて、ベトナム社会主義共和国ができました。これは冷戦のコンテクストで、ベトナムが共産化したといわれ、その後もベトナムは経済封鎖を受けますが、もっと大きなコンテクストで見れば、アジアの小国が西洋の植民地支配から自立しようとし、その意志を超大国アメリカでさえ抑えることはできなかった、ということです。
■『NHK100分de名著 ロジェ・カイヨワ 戦争論』より

NHKテキストVIEW

ロジェ・カイヨワ『戦争論』 2019年8月 (NHK100分de名著)
『ロジェ・カイヨワ『戦争論』 2019年8月 (NHK100分de名著)』
西谷 修
NHK出版
566円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> HMV&BOOKS

« 前のページ | 次のページ »

BOOK STANDプレミアム