『風と共に去りぬ』の起源となった母の教え

小説『風と共に去りぬ』の作者マーガレット・ミッチェルは、読者たちから「この部分はわたしをモデルにしたでしょう?」と何度も言われるのにうんざりして、モデルは一人もいないと断言していたそうです。しかし、作中のあるシーンは、実体験をそのまま使ったと語っています。翻訳家の鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)さんが当該箇所を引いて解説します。

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レットは、スカーレットにとってもう一人の母のような存在です。非常に男性らしいキャラクターではあるのですが、実は赤ちゃんをあやすのがうまかったり、スカーレットのつわりの世話をしてくれたりするなど、女性的なところも多分にある。実際、彼は物語終盤で“イクメン”になります。
もう一つ、レットがスカーレットの母的存在である理由として、ミッチェルの実母が彼女にしたお説教というものに注目してみたいと思います。
小学生だったミッチェルが「学校に行きたくない」と駄々をこねたとき、母が彼女を馬車に乗せてジョーンズボロの(この物語で言えば〈タラ〉への道にあたる)街道を走り、カンカン照りの道に引きずり下ろして語ったという次のような言葉です(ミッチェルの書簡一九三六年七月十日付より要約)。
かつてこのあたりには裕福な名家の屋敷が軒をつらねていたけど、いまは廃墟になっているでしょう。でも、一方、しっかり建っている家もある。
彼らはむかし安泰の世に暮らしていたのに、ある日突然、足元の世界が吹き飛んでしまった。あなたがいまいる世界もいつか吹き飛ぶでしょう。新しい世界に対処するすべを身に着けていなければ、あなたも大変なことになりますよ。ひとつの世界が終わりを迎えたら、あとはそれぞれが持てる才智と腕前だけでやっていくしかないんです。
特に女性の場合、破滅から自分の身を救うのはひとえに教育だ、だから学校には行かなくてはいけない、というわけです。スカーレットが頼り切っていた母のごとき庇護者のレットも、夜遅くに〈タラ〉への道を馬車で走り、そこでいきなりスカーレットを引きずり下ろしました。また、この場面のかなりあと、スカーレットに対してレットがアシュリを批判するシーンで、レットはこう言っています。
ひっくり返ったいまの世の中では、ああいう育ちの人間はなんの役にも立たないし、なんの価値もない。世界が逆さまになれば、決まって真っ先に滅びる人種だ。それは、そうだろう? 戦おうともしないし、戦うすべも知らないんだから、生き残るに値しない。世界がひっくり返ったのはこれが最初でも最後でもないだろう。むかしからあることだし、これからも繰り返される。そしてそうなった日には、だれもが何もかもを失い、すべての人々は平等になる。全員がふりだしにもどって、何もないところから再スタートだ。そう才智(さいち)と腕っぷしだけで勝負するんだ。
ミッチェルは、自分のキャラクターにはモデルはいないのだけれど、このシーンだけは、昔言われた母のお説教をほぼそのまま使ったと認め、その母の教えがこの大長編の“起源”になったとも書いています。
■『NHK100分de名著 マーガレット・ミッチェル 風と共に去りぬ』より

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マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月 (100分 de 名著)
『マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月 (100分 de 名著)』
NHK出版
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