天然の要塞・山城を歩く

「備中松山城 雲海展望台」から眺める、臥牛山の尾根と小松山の天守・二重櫓。
私たちが「城」と聞いてまず思い浮かべるのは、天守やその周囲を巡る水堀のある城ではないでしょうか。これらは、近世になって誕生した城。国宝の姫路城や松本城などが代表格ですが、実はかつて、全国には3万〜4万もの山河を天然の要塞とした城がありました。今回の歩き旅では南北朝時代から戦国時代に築かれた山城を訪ね、「城歩きの楽しみ」をご紹介します。まずは城郭ライターの萩原(はぎわら)さちこさんに、城郭の基本構造を教えてもらいました。

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岡山県中西部、臥牛山山上に築かれた備中松山城。その険しさから明治の廃城令をも生き抜いた山城は、中世から近世にかけての城の姿をそのままに残す全国的に見てとても貴重な城郭です。
備中松山城の大手門(城正面の門)へと続く登城道は、藩主が平時に暮らした臥牛山山麓の「御根小屋(おねごや)」と山上とを結ぶ道。観光案内所で入手した地図を見ると、4つの峰が描かれた山城全体図と小松山の山頂一帯(備中松山城跡)の図が記載されています。現在、登城道の一部が遊歩道として整備されており、麓から1時間ほど登れば前山と小松山の間に位置する「中太鼓櫓跡(なかたいこやぐらあと)」に到着(途中のふいご峠まで車で上がると、そこから約20分)。ここからいよいよ、城内へと向かいます。
「城歩きを満喫するためには、自分がいる場所がどこかわかるように地図を見ながら歩く、ということが大事。城の全体像がわかれば、天守だけではなく道や櫓(やぐら)の配置などもわかりますから、いろいろな想像が楽しめます」と、萩原さん。
ちなみに櫓とは、武器庫や見張台など多目的に利用された建物のこと。櫓台という石垣の上に築かれています。


ここで改めて地図を見ると、中太鼓櫓跡から大手門までは、砦があった前山と本丸である小松山の間を通らなければならないことに気づきます。
「登城道は敵の進軍道にもなり得るので、道の配置を含めてさまざまな工夫がされているものなんですよ。本丸までの間には、進軍を邪魔するため直角に曲げた道や、わざと歩きづらいように幅と段差を作った階段が続きます。また、歩くときは曲輪(くるわ)や櫓の名前に注目してみるのも、楽しみ方のコツ。地図で見ると、中太鼓櫓は御根小屋と天守との中間地点。かつては前山にも太鼓櫓があって、太鼓を伝達手段に使っていたらしいんですね。一度ここから太鼓を鳴らしてみたら、ちゃんと天守にまで音が届いたそうです」



※続きはテキストでお楽しみください。
撮影:遠藤 純
■『NHK趣味どきっ!海・山・町を再発見! おとなの歩き旅 秋』より

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