百人一首はオールスター総出演のベストアルバム
歌舞伎演目の現代劇化を試みる劇団「木ノ下歌舞伎」の主宰・木ノ下 裕一(きのした・ゆういち)さんが、古典に親しむようになったきっかけは百人一首の蝉丸(せみまる)の札でした。
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ぼくが百人一首に興味をもったのは小学校低学年ごろのことです。多くの人がそうだと思いますが、最初はかるた遊びから入りました。とはいっても、頑張って和歌を暗記して、他人よりたくさん札を取ろう、といったような殊勝(しゅしょう)な動機ではなく、もっぱら絵札(読み札)を使った「坊主めくり」で遊んでいたのです。
坊主めくりをしていると、気になる人物が浮上してきます。それが蝉丸です。他の僧侶(そうりょ)たちは頭を丸めているのが絵柄からもわかりますが、蝉丸だけは頭巾を被(かぶ)っている。僧侶であれば、めくった人が持ち札を全部没収されることになるので、この判断は重要なのですが、蝉丸を僧侶とみなすか、貴族や武士のような一般男性とみなすか、見解が分かれるところで、相当難しい。ゲーム中にケンカになるのは、だいたい蝉丸が出たときでした。
そんなわけで、蝉丸の札には他の札にはないインパクトと、どこか謎めいた雰囲気がありました。名前も「なんとかの朝臣(あそん)」といった複雑なものでなく、蝉丸。子どもにとって身近な虫が名前に入っていて、キャッチーですよね。
かるたを取るわけではなくても、何度も目にしていれば自然と和歌も覚えます。蝉丸が詠んだ和歌も暗唱できるようになっていました。「この歌はテンポが良くておもしろいなぁ」と、意味もわからず口ずさんでいるうちに、自然に覚えてしまったのです。その歌は次のようなものです。なお、( )で現代語訳を入れました。これは今回お話しするそれぞれの歌のイメージにあわせて、ぼくが訳したものです。下段に、訳するにあたって意識したことなどを注記しました。百人一首にはすでにいろいろな訳があり、それぞれの訳者がどんなところに着目して訳したのかを考えながら読みくらべてみるのもおもしろいと思います。
10 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
(そう、ここだ! 出発する人も、帰ろうとする人も、知ってる人も、知らない人も、富める人も、貧しい人も、みんな行き交い、すれ違い、逢っては別れを繰り返す、ここがその、逢坂の関。)
実際に声に出して読んでみるとこの歌のリズムの良さがわかると思います。詩人の萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう)が指摘していることですが、この歌には、「行くも帰るも」、「知るも知らぬも」といった具合に「も」が多用されているため、たたみかけるような軽快なリズムがあって、とても覚えやすいのです。韻を踏みながら言葉をリズムにのせていくという点では、今の日本語ラップに通じるものがあるといってもいいのかも知れません。そして、蝉丸の札がいたく気にいったぼくは、いつしかランドセルの中に忍ばせて持ち歩くようになっていました。
10 現代語訳のポイント
原歌の「これやこの」と急き込んだニュアンスを潰さないように「そう、ここだ!」と訳し、全体のリズムのよさを尊重して、後半の「貧しい人も」からは、できるだけ七音と五音でおさめるように心掛けてみました。「富める人も、貧しい人も」という情報は原歌にはありませんが、蟬丸はきっと、“貴賎や貧富に関係なく人々が行き交う空間”である逢坂の関を、世界の縮図に見立てて詠んだにちがいないと解釈し、あえて加えることにしました。
ぼくが今回、百人一首をみなさんにおすすめしたいと思ったのには、二つの大きな理由があります。
まず一つめの理由は、和歌や古典文学にあまり触れたことのない初心者にとってこれ以上、お得な教材はほかにはないと思ったからです。百人一首というのは、藤原定家(ふじわらのていか/平安・鎌倉時代の和歌の大家〈たいか〉)が、『万葉集』の時代から奈良、平安、鎌倉時代初期までの五百年以上の間に活躍した百人の歌人の和歌のなかから一人一首ずつを選んで編纂(へんさん)した撰歌集(せんかしゅう)です。音楽CDに例えるなら、明治から平成までの名曲、ヒット曲が全部詰まった歴代スター総出演のベストアルバムのようなものといっていいでしょう。何から読んだり聴いたりすればよいか迷っているビギナーにとっては、これ以上便利なものはありません。それに加えて、ほぼ年代順に和歌が並べられているため、順に読んでいけば和歌の歴史の大きな流れや、それぞれの歌が詠まれた時代の空気といったものまで把握(はあく)できてしまうのもお得です。
二つめのおすすめの理由は、初心者だけでなく、中・上級者が読んでも十分楽しめる内容になっているという点です。百人一首の特徴として、定家の個人編集による作品集ゆえに、歌のセレクトには彼の個人的な好みや主張が色濃く反映されているという点が挙げられますが、じつはこれは読む方にとってはすごく興味深いことなのです。
ぼくの中学時代には、自分のお気に入りの曲をカセットテープに録音して、マイテープなるものを作り、友だち同士で交換するのが流行ったことがあります。今でいえば、お気に入りの曲のプレイリストを友だちと共有するのと同じようなものです。そうしたときは「このバンドだったら代表曲はこれだけど、隠れた名曲とされているこっちを入れたほうがいいかな」などとあれこれ考えながら、プライドをかけて選曲したものです。定家も百人一首を選ぶとき、同じように考えたのではないかと思います。彼のこだわり抜いたセレクトを読みながら、「なぜ定家はこの歌を選んだのだろう? この歌で定家は何を伝えたかったのだろう?」と想像してみるのも、百人一首の大きな楽しみになるのです。
収録されている歌はそれぞれに魅力的で、できれば百首すべてを紹介したいところですが、今回は、十代のみなさんでも共感できる歌、現代人が忘れてしまった大切なものを思い出させてくれる歌、時代を超えて私たちを励ましてくれる歌など、テーマを絞って解説させていただこうと思っています。
■『NHK100分de名著 for ティーンズ』より
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ぼくが百人一首に興味をもったのは小学校低学年ごろのことです。多くの人がそうだと思いますが、最初はかるた遊びから入りました。とはいっても、頑張って和歌を暗記して、他人よりたくさん札を取ろう、といったような殊勝(しゅしょう)な動機ではなく、もっぱら絵札(読み札)を使った「坊主めくり」で遊んでいたのです。
坊主めくりをしていると、気になる人物が浮上してきます。それが蝉丸です。他の僧侶(そうりょ)たちは頭を丸めているのが絵柄からもわかりますが、蝉丸だけは頭巾を被(かぶ)っている。僧侶であれば、めくった人が持ち札を全部没収されることになるので、この判断は重要なのですが、蝉丸を僧侶とみなすか、貴族や武士のような一般男性とみなすか、見解が分かれるところで、相当難しい。ゲーム中にケンカになるのは、だいたい蝉丸が出たときでした。
そんなわけで、蝉丸の札には他の札にはないインパクトと、どこか謎めいた雰囲気がありました。名前も「なんとかの朝臣(あそん)」といった複雑なものでなく、蝉丸。子どもにとって身近な虫が名前に入っていて、キャッチーですよね。
かるたを取るわけではなくても、何度も目にしていれば自然と和歌も覚えます。蝉丸が詠んだ和歌も暗唱できるようになっていました。「この歌はテンポが良くておもしろいなぁ」と、意味もわからず口ずさんでいるうちに、自然に覚えてしまったのです。その歌は次のようなものです。なお、( )で現代語訳を入れました。これは今回お話しするそれぞれの歌のイメージにあわせて、ぼくが訳したものです。下段に、訳するにあたって意識したことなどを注記しました。百人一首にはすでにいろいろな訳があり、それぞれの訳者がどんなところに着目して訳したのかを考えながら読みくらべてみるのもおもしろいと思います。
10 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
蝉丸
(そう、ここだ! 出発する人も、帰ろうとする人も、知ってる人も、知らない人も、富める人も、貧しい人も、みんな行き交い、すれ違い、逢っては別れを繰り返す、ここがその、逢坂の関。)
実際に声に出して読んでみるとこの歌のリズムの良さがわかると思います。詩人の萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう)が指摘していることですが、この歌には、「行くも帰るも」、「知るも知らぬも」といった具合に「も」が多用されているため、たたみかけるような軽快なリズムがあって、とても覚えやすいのです。韻を踏みながら言葉をリズムにのせていくという点では、今の日本語ラップに通じるものがあるといってもいいのかも知れません。そして、蝉丸の札がいたく気にいったぼくは、いつしかランドセルの中に忍ばせて持ち歩くようになっていました。
10 現代語訳のポイント
原歌の「これやこの」と急き込んだニュアンスを潰さないように「そう、ここだ!」と訳し、全体のリズムのよさを尊重して、後半の「貧しい人も」からは、できるだけ七音と五音でおさめるように心掛けてみました。「富める人も、貧しい人も」という情報は原歌にはありませんが、蟬丸はきっと、“貴賎や貧富に関係なく人々が行き交う空間”である逢坂の関を、世界の縮図に見立てて詠んだにちがいないと解釈し、あえて加えることにしました。
ぼくが今回、百人一首をみなさんにおすすめしたいと思ったのには、二つの大きな理由があります。
まず一つめの理由は、和歌や古典文学にあまり触れたことのない初心者にとってこれ以上、お得な教材はほかにはないと思ったからです。百人一首というのは、藤原定家(ふじわらのていか/平安・鎌倉時代の和歌の大家〈たいか〉)が、『万葉集』の時代から奈良、平安、鎌倉時代初期までの五百年以上の間に活躍した百人の歌人の和歌のなかから一人一首ずつを選んで編纂(へんさん)した撰歌集(せんかしゅう)です。音楽CDに例えるなら、明治から平成までの名曲、ヒット曲が全部詰まった歴代スター総出演のベストアルバムのようなものといっていいでしょう。何から読んだり聴いたりすればよいか迷っているビギナーにとっては、これ以上便利なものはありません。それに加えて、ほぼ年代順に和歌が並べられているため、順に読んでいけば和歌の歴史の大きな流れや、それぞれの歌が詠まれた時代の空気といったものまで把握(はあく)できてしまうのもお得です。
二つめのおすすめの理由は、初心者だけでなく、中・上級者が読んでも十分楽しめる内容になっているという点です。百人一首の特徴として、定家の個人編集による作品集ゆえに、歌のセレクトには彼の個人的な好みや主張が色濃く反映されているという点が挙げられますが、じつはこれは読む方にとってはすごく興味深いことなのです。
ぼくの中学時代には、自分のお気に入りの曲をカセットテープに録音して、マイテープなるものを作り、友だち同士で交換するのが流行ったことがあります。今でいえば、お気に入りの曲のプレイリストを友だちと共有するのと同じようなものです。そうしたときは「このバンドだったら代表曲はこれだけど、隠れた名曲とされているこっちを入れたほうがいいかな」などとあれこれ考えながら、プライドをかけて選曲したものです。定家も百人一首を選ぶとき、同じように考えたのではないかと思います。彼のこだわり抜いたセレクトを読みながら、「なぜ定家はこの歌を選んだのだろう? この歌で定家は何を伝えたかったのだろう?」と想像してみるのも、百人一首の大きな楽しみになるのです。
収録されている歌はそれぞれに魅力的で、できれば百首すべてを紹介したいところですが、今回は、十代のみなさんでも共感できる歌、現代人が忘れてしまった大切なものを思い出させてくれる歌、時代を超えて私たちを励ましてくれる歌など、テーマを絞って解説させていただこうと思っています。
■『NHK100分de名著 for ティーンズ』より
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