Wikipedia三大文学で注目された「地方病」 100年以上にわたる闘いを記したノンフィクション
- 『死の貝:日本住血吸虫症との闘い (新潮文庫 こ 28-2)』
- 小林 照幸
- 新潮社
- 737円(税込)
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皆さんもよく利用しているであろう、フリーのオンライン百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」。その中でも、非常に読み応えがある記事として「Wikipedia三大文学」と呼ばれているのが、「三毛別羆事件」「八甲田雪中行軍遭難事件」「地方病 (日本住血吸虫症)」です。
今回紹介する『死の貝:日本住血吸虫症との闘い』は、「地方病(日本住血吸虫症)」について詳しくまとめた一冊。同書は1998年に文藝春秋社から単行本が出版されたものの絶版になり、2024年4月に新潮社から文庫本として刊行されました。Wikipedia「地方病(日本住血吸虫症)」では同書が主要参考文献に挙げられており、多くの記述が同書に由来しています。
さて、この「地方病」とは一体どのようなものだったのでしょうか。古来より甲府盆地では、農民を中心に「水腫脹満(すいしゅちょうまん)」と呼ばれる原因不明の病が存在していました。かかった者は腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて動けなくて死にいたるというものです。すでに近世初頭には広まっていたことが史料からはうかがえますが、長い間、その原因や治療法はわからないままでした。そして歴史を紐解いていくと、これと似た奇病は広島県の片山地方、福岡県と佐賀県の筑後川流域など全国各地で見られたのです。
やがて、この病に立ち向かうため、医師や住民ら多くの人々が奮闘し始めました。しかし、ときは明治時代。医師らは直接患者を解剖して病変を確かめようとしたものの、当時の人々は解剖に対して極度の抵抗感や恐怖があったといいます。そんな中、ある病状末期の農婦が、病気の原因究明に自分を役立ててほしいと献体を申し出ます。これは当時としては空前の出来事だったそうです。こうした解明に向けた機運がいくつも重なり、新種の寄生虫が大きく関与していることが徐々に明らかになりました。
そして、ついに明治37年(1904年)8月、「日本住血吸虫」の名前が医学誌に発表されることとなったのです。その後、経皮感染であることが実証され、ミヤイリガイという中間宿主が発見されることで、「地方病」の原因はすべて解明されます。しかし、研究はこれだけでは終わりません。治療法や予防法まで確立されて、人々は初めて安心して暮らせるようになるからです。最終的に「地方病」は、平成8年(1996年)に「地方病終息宣言」が出され、100年以上におよぶ闘いの終わりが告げられました。同書ではその軌跡が実に丁寧に記されています。
同書を読むと、謎の奇病におびえながらも土地を捨てて他の国には逃れられない農業従事者たちの葛藤に心が痛むとともに、まさに命をかけて病の究明にあたる医師たちの姿に胸が熱くなります。今ある難病や感染症にも医療従事者たちがこのように臨んでいるのかと思うと、あらためて感謝の気持ちが湧き上がります。
同書はグロテスクな表現も多いため、そうした類が苦手な人には正直あまりおすすめできません。しかし近代日本にかつてこのような脅威があり、それを克服した歴史があったという事実は、知っておいてけっして損はないでしょう。
[文・鷺ノ宮やよい]