【映画化決定】父と母、そして父の愛人だった瀬戸内寂聴――3人の"性"と"生"を娘・井上荒野が描いた衝撃作
- 『あちらにいる鬼』
- 井上 荒野
- 朝日新聞出版
- 1,398円(税込)
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「衝撃作」と銘打たれる作品は世の中にいくつもありますが、本書『あちらにいる鬼』は間違いなくその一冊と言えるでしょう。なぜなら本書は、父・井上光晴と母、そして父の愛人・瀬戸内寂聴の三人の関係性をモデルに、光晴の娘・井上荒野が長編小説として描いたものだからです。
しかも、本の帯に「モデルに書かれた私が読み 傑作だと、感動した名作!!」「作者の父 井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。」と推薦文を寄せているのは、瀬戸内寂聴本人。こうした情報だけでもじゅうぶんすぎるほどにスキャンダラスではないでしょうか。
物語は1966年、寂聴をモデルにした人気作家・長内みはるが、徳島での講演会をきっかけに、作家の白木篤郎と出会うところから始まります。やがて、ふたりは男女の関係になりますが、篤郎の妻・笙子は心を乱すことなく結婚生活を続けます。息を吐くようにぺらぺらと嘘をつき、みはる以外の女性たちとも度重なる情事を重ねる篤郎。そんな篤郎を「どうしようもない男だけれど、いとしい。いとしくてしかたがない」と愛するみはる。「私は篤郎と別れない。別れられないのではなく、別れないのだ」と言い切る笙子。この三人の特異な関係性を、みはる、笙子両者の視点で交互に、2014年までの約50年近くの長い年月をかけてじっくりと追っていきます。
興味深いのは、篤郎に惹きつけられる女性として、やがてみはると笙子が互いにある種のシンパシーを抱くようになるところ。やがて篤郎と恋愛関係が終わったあとも、みはるは笙子に対して以下のような思いを抱きます。
「わたしは彼女ともっと話したかったし、彼女をとても魅力的だと思っていることを伝えたかった。白木とわたしが男女の関係であった七年間が、彼女と白木の七年間でもあったというあたりまえの事実が、何か熱い湯のような、甘い蜜のような感触でわたしを覆っていて、わたしはうわあっと叫びだしたいような気持になっている」(本書より)
いっぽうの笙子も、みはるをこう評します。
「私は彼女に会うことがいやではない。(中略)なぜなら彼女は、篤郎にとって特別の恋人だったから。そうして出家という手段で、自ら篤郎との関係を断ち切ったひとだったから」(本書より)
いつの間にか、みはると笙子の関係は友人といってもよい間柄にまで深まっていくのです。
タイトルである「あちらにいる鬼」とは何を指すのでしょうか。みはるや篤郎、笙子といった登場人物を指していると考える人もいるでしょう。私には、「生」と「性」という人間がいくつになっても逃れることのできない深い"業"のようなものをそこから感じ取らずにはいられませんでした。
映画化決定のニュースとともに、先日、瀬戸内寂聴が亡くなったことでさらに注目を集めている本書。誰がキャストを務めるのか、どのような映像になるのかなどを含めて、今後もしばらく話題が尽きることはなさそうです。
[文・鷺ノ宮やよい]