【「本屋大賞2021」候補作紹介】『八月の銀の雪』――自然科学との出会いから生まれる人間模様。読者の心を温かくする全5篇

八月の銀の雪
『八月の銀の雪』
伊与原 新
新潮社
1,760円(税込)
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 BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2021」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、伊与原新(いよはら・しん)著『八月の銀の雪』です。
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 著者の伊予原さんは、神戸大学理学部を卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学の博士課程を修了。富山大学理学部に助教として勤務していた2010年に『お台場アイランドベイビー』で第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞し小説家デビュー。今回紹介する『八月の銀の雪』は第164回直木賞候補作にも選ばれました。

 本書は『月まで三キロ』に続く、著者の専門分野にまつわる知識が反映された短編集。全5篇の物語では、地球の内核、クジラやハトなどの生き物、珪藻アート、気象といった自然科学の要素をモチーフにしながら、さまざまな人間ドラマが繰り広げられます。

 第1話目は本書のタイトルにもなっている「八月の銀の雪」。就職活動連敗中の大学院生・堀川は、ある日、近所のコンビニのベトナム人女性店員・グエンに声をかけられます。グエンは、4日前に堀川が友だちと店内のイートインスペースにいたときに論文を見かけなかったかと問いかけます。

 グエンは一流国立大学の大学院に通う留学生で、理学部の地震研究所所属。国際奨学プログラムに選抜されて月額18万円の奨学金を支給されているものの、妹の高額な学費を払うために寝る間を惜しんでバイトに勤しんでいるとのこと。彼女のことをいつも不愛想で手際が悪い店員としか思っていなかった堀川ですが、話を聞くにつれ彼女に一目置くようになります。

 「みんな、なんで自分たち住む星の中のこと、知りたくならないのか。内側がどうなってるか、気にならないのか」(本書より)と自身の研究について真剣に語るグエン。そうした姿を見て、堀川は彼女の内面に目を向けず外側だけで見下していたと恥じ、ふたたび就活への意欲を喚起するのです。

 堀川は人付き合いが苦手で孤立しがちな人間であり、本書に登場する主人公の多くはどこか不器用で世渡り下手な人物ばかりです。2話目「海へ還る日」の主人公は子育てに自信を持てないシングルマザー、3話目「アルノーと檸檬」の主人公は人生にくすぶる劇団員崩れの会社員、4話目「玻璃を拾う」の主人公は結婚間近だった恋人に振られてしまった女性、5話目「十万年の西風」の主人公は原発関連の会社を辞め、ひとり旅をする男性。

 彼らが科学や人との出会いを通して、これまで見えていなかった新しい世界や物の見方に気づき、傷ついた心に希望を取り戻していくというのが全話に通じる点。それは、ストレスフルな毎日にささくれ立っている現代人の心に温かな光を灯してくれます。科学の神秘に触れ、文学の面白さを味わう、そんな伊与原さんの作品ならではの稀有で贅沢なひとときを、皆さんもぜひ堪能してみてください。

[文・鷺ノ宮やよい]

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