昭和の香りが漂うパラダイス 知られざる"横丁"の魅力と消えゆく路地裏の記憶
- 『横丁の戦後史-東京五輪で消えゆく路地裏の記憶 (単行本)』
- フリート 横田
- 中央公論新社
- 1,650円(税込)
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「横丁は共生のパラダイス」
上記の一文は、フリート横田氏の著書『横丁の戦後史 東京五輪で消えゆく路地裏の記憶』(中央公論新社)の帯に掲載されていた言葉。お恥ずかしながら「横丁」と聞いて上野のアメ横くらいしか思い浮かばなかった筆者は、言うまでもなく横丁とは全く縁のない人間だ。友人と飲みに行く時は、決まってリーズナブルな居酒屋チェーン店。できることなら個室のある店を要望し、心ゆくまで友人たちとの会話を楽しむ。無論、そこに知らない人が加わるなんてことはあり得ない。
同書の言葉を借りるなら"閉じた人間関係"を店に持ち込んで楽しむスタイルと言うべきだろうか。対して「横丁」の飲み屋はその真逆。個室どころか席も数席しかなく、満席になれば隣の人と自分の肩が触れ合う距離に。やがて見知らぬ人との会話が自然と始まり、狭い箱にせばまりにくる人間同士の距離感を強制的に縮めてくれる。つまり知り合い同士で楽しむのではなく、毎度違った出会いを用意してくれるのが横丁の魅力なのだ。
だがそんな横丁が絶滅の危機に瀕している。
「急激に街並みが変わってきたのは前回東京五輪の頃。東京の場合で言えば、爆発的に増える自動車交通量に合わせ高速道路の建設、幹線道路の拡幅・整備、地下鉄整備など、誰でも知っているインフラ整備や開発が行われたあの時代、戦後の置き土産のように残っていたバラック横丁や、近郊にかろうじて存続していた露店街も消え、都市や周辺の景観までもが激変した」(同書より)
そして2度目の東京五輪が開催された現在。2020年3月には約半世紀ぶりの山手線新駅「高輪ゲートウェイ」が誕生し、渋谷駅前では"100年に1度"と言われるほどの大規模な再開発が進んでいる。今こうしている間にも複合ビルが次々と生まれる中で、まるで反比例するかのように姿を消していく横丁。そのうえ横丁黎明期に生きた名もなき人々は、ほとんど記録を残さずに横丁を去っていた。
そんな消えゆく横丁の歴史を掘り起こし、1冊の本にまとめたのが同書である。横丁の背景にはいったいどんな歴史が存在したのか、ここからはその一例に触れていこう。
たとえばみなさんは、"テキヤ"なるものをご存知だろうか。テキヤとは縁日や祭りなどで露店や興行を営む業者のことで、かの有名な"寅さん"こと『男はつらいよ』シリーズ車寅次郎もテキヤ稼業を生業にしている。そんなテキヤによって生まれたのが、約120軒の飲み屋が軒を連ねる一大飲み屋街「若松マーケット」。著者の横田氏は、同書のなかでこう語る。
「時期は、戦争とその終結ですべての日常が壊されたとき。テキヤは主要ターミナル駅前の焼け跡を整理し、力で一帯を支配し、かつてない規模の露店を張りめぐらし、ヤミ市を作った」
ここでふと疑問に思うだろう。テキヤが作ったのは飲み屋街ではなくて"ヤミ市"ではないのか、と。その通りである。つまり「横須賀ブラジャー(ブランデーをジンジャーエールで割ったカクテル)」で有名な若松マーケットの元は、ヤミ市だったのだ。
もともと終戦直前から横須賀中央駅前には、すでに20軒ほどのヤミ露店が存在していたという。戦争が終わると数はさらに増すが、当初は全くの無法地帯。ヤミ値も高騰するなか、これを仕切り直したのがテキヤだった。
「戦中、物資は統制下にあり、終戦しても依然配給制が維持されていた。あらゆる日用の商品には公定価格が決められ、また買う客もあらかじめ決められた配給量しか買い受けることはできなかった。(中略)テキヤが焼け跡に作ったヤミ市では、崩れかかった仕組みなんぞ無視して、『ヤミ』で商品を仕入れ売る。(中略)当然、市民は殺到した」(同書より)
ではなぜテキヤにそんなことができたのだろうか。その理由について同書には、以下のように綴られている。
「それはモノを臨機応変に仕入れ、空白地に店舗を瞬時に作ることができ、売る人さえあれば露店という仮設店舗をいくらでも増殖させられる商法だったから」
流通の滞った焼け跡には、テキヤの商法が見事に合致。加えて在日外国人への対抗力や統率力、機動力を併せ持っていたことなどが成功した要因だといえよう。
とはいえ世が落ち着いてくれば、ヤミ値でしか買えないマーケットの存在理由は薄くなる。やがて合法的な流通が普及し出すと案の定その魅力は失われていき、商店街として発展する代わりに"一杯飲み屋街"と化したそうだ。
このように横丁には、知られざる歴史がたくさんある。しかし記録がないがゆえに、横丁が消えればその歴史も人々の記憶から消えてしまう。そうなる前にぜひ昭和の香りが漂うパラダイス"横丁の飲み屋"へと足を運んでみたいものだ。