「本が売れなくても維持できる本屋の形」はどこにある? 宮崎智之×竹田信弥×花井優太(後編)

本屋発の文芸誌「しししし3 特集:J.D.サリンジャー」
『本屋発の文芸誌「しししし3 特集:J.D.サリンジャー」』
竹田信弥,松井祐輔,田中佳祐
双子のライオン堂
2,200円(税込)
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新型コロナウイルスが猛威を振るい、多くの人や文化が影響を受けました。それは、本に携わる書き手や書店や編集者も例外ではありません。そしてそれによって失ったものや、得た発見、新たな取り組みも生まれています。今回はそんなコロナ禍での変化について、フリーライターの宮崎智之さん、赤坂のある書店「双子のライオン堂」店主の竹田信弥さん、カルチャー雑誌「ケトル」の副編集長である花井優太さんが語ります。スピードが求められることの多い世の中で、3人がちょっと立ち止まって考える後編です。

●年に一回だけ発行される書店による文芸誌ってなに?

宮崎:前編では、雑誌や書店の話から、「ズラし」「別解」「雑」をどのように確保していくのか、というお話になりました。「双子のライオン堂」の取り組みでもう一つ特徴的なのが、独自で文芸誌『しししし』を発行していることです。僕は1号に随筆、先日発売された3号に短編小説『五月の本屋』を寄せました。本屋に行くことが、なかなかできなかった5月。新型コロナが問題になる前に書いた作品なので偶然ですけど、なんとも不思議な縁を感じます。

竹田:文芸誌『しししし』は、ISBNコードを取得し商業誌として出版しています。1年間の「双子のライオン堂」の活動報告であり、翌年1年間の抱負でもあるという言い方をしています。

宮崎:というと?

竹田:「双子のライオン堂」では、作家さんなどによる選書棚があったり、イベントをしたりとさまざまな取り組みをしています。それらを通して1年間お世話になった方や、次年度にご一緒してみたい方にお声がけして執筆してもらっています。

ただ、文芸誌自体、どんどん読者は減っていると思うんですね。いま少し盛り上がっていますけど。本が売れない状況を考えると、全体では減っている。僕は、文芸誌を高校生くらいから買い続けているんです。ただ文芸誌を読んでいるという人に、本屋業界に入るまで、出会ったことがなかった。それくらい読者は多くない。でも、文芸誌って魅力があるし、文学の一つの土台だと思っているんですね。

宮崎:僕もそう思います。

竹田:文学って即時性のない遅行性のメディアなんて言われてますけど、文芸誌を追っていると別にそんなこともないと思うんです。直接的ではないにしても、緊急的に時世に合わせたテーマの小説が載ることはよくありました。でも大衆までには広がらなくて、なかったことにされてしまうことが多い。存在的に儚いものなんですけど、そこに本屋の復活のキーがある。

というのも、歴史を調べてみると、文芸書はずっと書店のメイン商品なんです。だから文学が盛り上がれば、本屋もまた盛り上がるんじゃないかという仮説を立てていて。そして、文学を盛り上げるために僕になにができるかなと考えて始めたのが、本屋が作る文芸誌作りだったんです。

宮崎:なるほど。

竹田:既存の文芸誌にない要素を取り入れることも意識していて、その一つが読者の声を文芸誌の中に反映させるということです。文芸誌は、基本的にプロの作家の原稿やインタビューが載るものなので、読者投稿はほとんどない。だから、読者投稿ページがあるだけで、開かれていくのではないかと思いました。敷居を低く、近寄りやすいようにしていて、手触りの良さとか、目につきやすい感じとか、装丁や装画、デザインにもこだわっています。まだまだやれていないことも多いですけど。

宮崎:装画は毎号、現代美術家の大槻香奈さんですね。お店を軸に、そこで出会った著者や編集者、デザイナーなどをまとめる。『しししし』自体が「双子のライオン堂」である、と。

竹田:おっしゃっていただいた通りです。小さいお店なのでチェーン展開はできないですが、文芸誌や本にまとめることでいろいろなお店が売ってくれる。そこに支店ができる。そして読者が「双子のライオン堂」を持って帰ることができる。それぞれの家で、「双子のライオン堂」の分身である『しししし』から、溢れ出してくる。そんな思いを込めて『しししし』を作っています。

宮崎:さらに、前編で議論した「ズラす」「雑」という部分でいうと、僕だけではなく、友田とんさんなど、普段は小説を書かないタイプの書き手が創作を寄せていたりしています。

竹田:文芸誌にあまり書かれない方で言えば、『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集』などの著書で知られるスポーツライターの村瀬秀信さんが、普段とは違うテーマの随筆を寄せてくれていたり、国立天文台に勤めていて、折り紙の専門家でもある前川 淳さんが、本号の特集であるJ.D.サリンジャーについての文を寄せてくれたり。『しししし』も積極的にズラしにいっていますね。

⚫︎「わからない」ことをわかり合うって大切だ

花井:宮崎さんは、最近どんな仕事をしているんですか? 『ケトル』の連載以外で。

宮崎:雑誌に寄稿したり、ラジオに出たり。あとは、今年刊行を予定している本の原稿にも取り組んでいます。そのなかで、今すごく考えているのは「わからない」ということについてです。

どういうことかというと、愛犬を見ていると本当に不思議な気持ちになるんですよね。欲求とか感情とかを読み取ろうとしても、究極的には犬の気持ちはわからないし、想像することしかできない。でも、それって相手が人間であっても同じなんだと思っていて。

竹田:わかるって言ってしまう、一言でまとめてしまう「暴力」みたいなのはありますよね。

宮崎:そうそう。少なくとも僕は、自分が誰かを完璧に理解したと思ったことはないし、僕自身も誰かに理解されたと思ったことは、親や妻も含めて一度もないと気がついたんです。

竹田:小学校の時は「友だちの気持ちをわかりましょう」の大合唱ですし、実際にわかった気持ちになる時ってありますよね。無自覚に。でもふと「いや、そう簡単にはわからないだろう」と我に返って、「わかった」と思ったことのヤバさを感じた経験が僕にもあります。

宮崎:結婚や大人になってからの友人関係って、基本的には何十年のスパンなわけです。でも、何十年って一人の人間の生においてはとても長い期間で、その間に人間は変っていく。老いてもいく。仮に「わかった」としても、変っていくのが人間だと思います。実際に、実家に帰ったら親が極端な政治思想を持ってしまっていて驚いた、なんてことはよく聞く話です。だから、「わからない」を前提にして考え続けていく、想像し続けていく態度のほうが重要だと思います。

竹田:僕は、文学自体が「わからなさ」の複合体だと思っています。文学を読んでわからない、共感できないという意見を取り上げる授業スタイルが小学校にあってもいいですよね。

宮崎:わかります。あ、わかるって言っちゃいけないのか。難しいなあ(笑)。

花井:そこはいいんじゃないですか。わかりますで(笑)。

⚫︎答えを急ぐ必要はない。でも、考え続けたほうがいい

宮崎:僕が衝撃を受けた小説に、トルストイの『イワン・イリッチの死』という短めの作品があります。ネタバレになってしますが、この作品、イワン・イリッチ氏が死ぬんですよ。

一同、笑い

宮崎:これはもう間違いないです。実は生きていたとかもないですからね。確実に死にます。というか、冒頭から死んでいます。で、その死に方が、なんともままならないというか。なんでもないわけです。ただ単に死ぬ。僕の目から見ると、ほとんど救いがない。読み終わったあとに不快になって、本を壁に投げつけそうになった。でも、読んでから20年近く経った今も、この作品について考え続けています。

新型コロナ以後に僕が目の当たりにしたのは、世の中の目眩がするような複雑性です。政治的、経済的な判断はもちろんですが、疫学的な数字にさらされ続けると、一人の人間の認知能力では、身動きすらとれなくなってしまう。もともと世界は複雑だったし、これからどんどん複雑になってくるのでしょうけど、そのことに改めて気付かされました。世界は本当に「わからない」ことだらけなんだ、と。

竹田:さっき文芸誌は実は早いって言ったんですけど、作家が早く反応するというのと、読者がそれに対して反応するのにはタイムラグがあってもいいと思います。文学のわかり合えなさというか。

でも、時間に急かされ、合意を急がないといけない状態が現代にはあって、書店の棚も売上げによって目まぐるしく変っていく。それに、どう抗えるのかというのが、僕のテーマのひとつです。J.D.サリンジャーだって、もう十数年も読み続けているわけですから。なのに、わからないことばかり。

宮崎:カルチャー系の雑誌にも、そういう側面があるんじゃないですか? 合意を急がない、というような。

花井:答えがすぐに出ないし、むしろ答えなんてあるのかわからないことのほうが世の中に溢れている。例えば、新型コロナで生まれてしまった「距離」がさまざまなところにあるけど、「不要不急」に救われていた人もたくさんいるという。じゃあ、やっぱり新型コロナの前と同じ生活をするかといえば、おそらくそれは違う。だとすると、自分たちが好きなものについてまずは今できる方法で向き合ってみようか、答えは出ないけど......という、考え続けることが重要だと思うんですよ。「みんなの大好き」特集も、そういう気持ちが強いですね。

宮崎:「わからない」ところで立ち止まってみる、合意を急がず考え続けていく。そういった文化って、具体的な「場所」みたいなものがないと醸成されないと僕は思っていて。今回の新型コロナの件で、そういう場所をどう守るかが問われることになりました。

でも、花井さんのおっしゃるとおり、たぶん守るだけではいけなくて、前に進ませなければいけない。大切なものを守りながらも、それを進化させてかなければいけない。「わからない」で立ち止まるのではなく、その前提を受け入れて考え続けていかなければいけない。具体的な場所や誌面を持つ書店、雑誌にできることはまだまだありそうですね。

竹田 :僕は、自分が追求していることは最終的に、「本が売れなくても維持できる本屋の形」なんだと思っています。この発想には矛盾があるし、決して本が売れなくていいと思っているわけでもない。既存の本屋を守っているのか、変えようとしているのかもわからない。でも、そういう取り組みや場所、媒体があってもいいんじゃないかなと思うわけですよ、実験的に。これからもトライアンドエラーを重ねながら、考え続けていきたいです。

宮崎:僕も書き手として考え続けていきたいと強く感じました。本日は、ありがとうございました。

●識者プロフィール

宮崎智之(みやざき・ともゆき)
1982年、東京都生まれ。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」などに出演。雑誌「ケトル」で「ネタモト」を連載中。

竹田信弥(たけだ・しんや)
1986 年東京都生まれ。双子のライオン堂店主。高校時代にネット古書店として双子のライオン堂を開業。現在赤坂で実店舗営業中。著書に『めんどくさい本屋―100年先まで続ける道 (ミライのパスポ)』(本の種出版)。文芸誌「しししし」発行人兼編集長。『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)構成を担当。共著に『これからの本屋』(書誌汽水域)『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)など。

花井優太(はない・ゆうた)
1988年千葉県生まれ。プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」などに出演。

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