分岐した先にあった本当の終わりに向かう漫画『ディエンビエンフー TRUE END』――未完、と二度の打ち切りというバッドエンドからトゥルーエンド、そしてその先に/漫画家・西島大介さんインタビュー(vol.5)

ディエンビエンフーTRUE END(2) (アクションコミックス(月刊アクション))
『ディエンビエンフーTRUE END(2) (アクションコミックス(月刊アクション))』
西島 大介
双葉社
745円(税込)
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 漫画家・西島大介さんの代表作でもあるベトナム戦争を描いた『ディエンビエンフー』は、角川書店、小学館と出版社を変わりながら描き続けられてきた。そして、「ホーチミンカップ」というトーナメントバトルのさなか、12巻で『IKKI』版の『ディエンビエンフー』は物語が完結せずに終了した。物語は未完のままで終わるかと思いきや、双葉社から声がかかり『ディエンビエンフー TRUE END』として連載が始まった。『TRUE END』は最速3巻で完結するということが決まっている。

 2月10日には2巻が発売され、2月14日には双子のライオン堂からベトナムについてのエッセイ漫画『アオザイ通信完全版#2 歴史と戦争』も発売になり、9月には最終巻3巻の発売も決まっている。代表作でありながらも、二度の雑誌休刊に立ち会い、3社の版元を渡り歩くという文字通り「ドロ沼の戦争」「終わりなき戦争」と化した大長編『ディエンビエンフー』シリーズについて西島さんにお話を聞かせていただいた。

■活動がフォローしきれない漫画家、その作家性の伝わらなさ

―― 早期退職的に『IKKI』での連載を降りて、震災を挟んでから一層、西島さんは音楽プロジェクトの「DJまほうつかい」でピアノを弾き始めたり、漫画から遠ざかったイメージがあるのですが。

西島 そういう風に見えるとは思います。「西島さん、最近は音楽やアート寄りですね」って見えると思いますけど、僕の初めての個展はデビュー作『凹村戦争』の翌年の『世界の終わりの魔法使い』展(*)で、2005年の事。展覧会のゲストには佐々木敦さんを呼び、実はそこで「DJまほうつかい」が生まれました。「DJまほうつかい」のデビュー盤もその年にリリースされています。だから、最近の展示「トゥルーエンドを探して」のCINRA.NETのニュースの「初個展」は間違いなんですけど。

(*)経堂appelにて開催された初個展。ネームノート、原画、映像、ドローイングを展示。ゲストに佐々木敦、足立守正を迎えてトークも。この時会場で描いたライブドローイング作品は、2017年の「パープルーム大学 尖端と末端のファンタジア」でも展示された。

―― 西島さんの活動はフローチャートがありすぎてわかんないですよ。

西島 整理して伝えてないですからね。時系列では、漫画家デビューが音楽やアートよりも一年先輩というだけです。展示も音楽も、漫画とは規模が違うけれどいつも並行しています。

―― ただ、みんなそのことに興味がなかったか気づいてなかったかってことなんですかね。

西島 社会との明確な接点が「漫画」なんだと思います。漫画は本だから不特定多数に届きます。作者はそれを把握できないし、僕自身がどういう人間かはもう関係ない。離れている。僕がいなくても、物語や、キャラクターが好きでいてくれれば嬉しい。一方展示や音楽はもう少し近い気がします。

―― 部数や規模も違いますよね。

西島 普通は大ヒットする漫画作品があって、アニメ化されて、それで初めてメディアミックス的に展示やサントラが出るはずなんだけど、なぜか僕は自分で描いた漫画のサントラをすぐ作っちゃう。展示も途切れなく開催しています。それを漫画家の活動と考えると、変ですね。

でも例えば、『Mステ』にオザケンが出るとみんな「きゃーっ」って言って喜ぶけど、『おばさんたちが案内する未来の世界』を追いかけたりはそんなにしませんよね。で、なんか不思議なことをやっているらしいという情報だけが伝わる。まあ、だからオザケンですよ。

―― なに言ってるんですか(笑)。

西島 いや、そうですよ。メジャー流通は活動や情報が整理されて見えやすいので、その違いだと思います。『ディエンビエンフー TRUE END』をクラウドファンディングにしなかった理由の一つもそれがあります。双葉社からなら「完結」とカウントされるはず。

だから、今思うと確かに僕の活動は2010年ぐらい、『ディエンビエンフー』の連載を自主的に降りてから見つけにくくなったはずです。震災後に作品を描かない期間があったり、『すべてがちょっとずつ優しい世界』というとても静かな作品を描いて、アートとの親和性が高くなったように見えると思うけど、震災前からそれは始まっていた感じがします。

―― 確かに西島さんは同時期にやっていることが見えづらいという側面があると思います。『すべちょ』を描いた後に『ディエンビエンフー』に戻ったりとか。

西島 そうですね、活動がわかりやすくデザインされていない。運営やマネジメントがいないからだと思います。

―― いないですよね。

西島 妻には経理とマネジメントをしてもらっていますけど、それは縛りの強くないものですし。実際、野生の状態で作品を作っています。最適なサービスを、どこか「媚び」と感じてしまうところがあって、結果不親切なんだなって思います。

―― 西島さんのツイッターを見たら、漫画家のツイートに見えないですからね。ライブのツイートとか展示の告知とかも混ざってくるからそれが見えづらいんでしょうね。

西島 うん。フォローしづらいと思います。漫画家なら定期的にファンアートを描くとか、告知に特化するとか、メイキングとか、そういうことをするべきだと思います。僕はできていません。無理。

―― 興味ないんですか?

西島 僕個人が誰にどう見られようがどうでもいい。サービスになっていない。

―― それはずっと一貫してありますよね。でも、何かに怒っている感じはありませんか?

西島 怒ってないですよ。なんでも大好きですよ。

―― なんでも大好きってどういう意味ですか(笑)。

西島 なんでも大好きっていうのは、僕とは違う動機で作品を描いている人の表現も好きってことです。それぞれ事情があるし、僕ができないだけ。媚びればいいし、気取った方がわかりやすいし。だから、怒ってるわけではないはずなんですけど...。

―― 世界に対して怒ってる感じがあるんですよね。すべてがムチャクチャになって一回終わってしまえばいい、という感覚のイラストや漫画を描かれてきてるじゃないですか。初期の頃からそうですよね。『凹村戦争』の世界観もそうでしたし。

西島 『凹村戦争』は、その頃「六本木ヒルズ」むかつくな、「SF文壇」むかつくなっていう。

―― 露骨じゃないですか。

西島 作品には感情を込めていますよ。戦争って嫌だな、こんなことが許される世界って大嫌いだ、とか。『ディエンビエンフー』だとホーチミン・カップを開催して、雑誌の休刊にわざと逆らってみたり。「終わらされてたまるかよ!」って。でもそれは、やはり僕が平凡に健全に育っているからですよ。大きな絶望がなく、現実が満ち足りている。別にお金も学歴もないけれど、他人から見れば楽しそうだしリア充ということになると思います。

―― うん、そうですね。西島さんってルサンチマンないですよね?

西島 ないですね。

―― でも、怒ってる感じとか。

西島 モテなくて怒るとかないですね。充分モテている、なんの問題もない。

―― (笑)。

西島 そういうことは作品を作る動機にならない。作品でモテようとするのは浅ましい。

―― そこが西島さんの特異な所だと思うんですよね。漫画家とか何かを創作する人って思春期の不遇なことがルサンチマンになって、作品になっていく人が多いじゃないですか。

西島 それは表現者の病気というか、悪い意味で文学的というか、かまってほしいという姿勢ですよね。作品を通して「あるあるわかる」ってコミュニケーションの場が設定される作品もある。それもいいと思います。僕にできないだけ。僕は、急に世界が滅んでしまうとか、ぽんと宇宙に放り出されて独りとか、すべてが虚ろとか、とにかく「孤独」が好きなんです。

―― 西島さんは『アオザイ通信完全版#1〜食と文化〜』のインタビューでも早川書房から本を出したかったと言われてました。純文学的なルサンチマンには興味はなくて、もっとフィクションの海外SFを目指していたわけですよね。その距離感は、実際にお話を聞いているとわかりますし、ご本人を知っているとわかるんですけど。

西島 掴みにくいところですよね。

―― あまり伝わらないところですね。確かに西島さんはすごいリア充だなって思います。

西島 それは誰かに自慢することではないですからね。ビジネス的な尺度ではリア充ではないですよ。でも、生活のリアルを充実させずに何を充実させるのか、と。それを捨ててまで何か優先されるものが果たしてあるだろうか? とは思います。

―― 西島さんが2000年代の初頭に付き合いのあった批評系界隈の方々は逆にルサンチマンが強い人が多かった印象があるんですが。

西島 え? だから、みんなケンカしてたのかな?

―― たぶん...。西島さんは関わっているけど、その中心にいないというか。

西島 そうですね、批評を読むのは大好きです。書き手が世界と向かい合っているのがわかるから、感動します。でも違う野心には興味はない。あと、僕は相談窓口じゃないから、相談に乗れない。

―― 確かに西島さんに何か相談しようとは思わないですね。

西島 ここら辺も僕の作品の弱点だと思います。個性であり最大のウィークポイントです。

―― そういう意味では共感を得ないんですかね。

西島 「共感できなさすぎて逆に共感」とかはあると思うんですけど、それは大多数をなさない。だから女性ファンは少ないですよね。おもてなしの態度、ホスト力が足りない。インソムニア(*)だけは女子人気があったはずなんですけど、彼を使って恒常的なおもてなしの空間が作れていない。

(*)ティムの部下である「ストレイ・ドッグス」の一員。「まどろみを知らないスナイパー」で絶対に眠らないらしい。ロバート・キャパを尊敬しており、彼のようなカメラマンになりたかったが結局諦めた過去がある。ヒカルに対して、「君は優秀なスナイパーになれる」と称賛している。カメラマンとスナイパーという視線の先に対しての行為、戦争での立ち位置として『ディエンビエンフー』シリーズではこの相違関係は非常に大きな存在と批評性を持っている。

―― それは『凹村戦争』の主人公の凹沢アルが、同級生の二人がセックスしていてもそこに感情をあまり向けないみたいな描き方が、今の西島さんが言われたような態度と重なりますね。

西島 まんまですね。だから、僕はバカなんでしょうね。バカすぎるんでしょう、人間が。

―― 僕も西島さんほどにはリア充だと思いませんが、ある程度は満ち足りていることが強さでもあり弱さでもある気がします。

西島 碇本くんはコミュニケーション能力高いよね。こうやって取材をしていただいて。人と人を結ぶ能力があると思います。作家より、そういう使命を帯びた人間だと思います。

―― そうかもしれないですね。人見知りしてても面白くないっていうのがありますし、逆に迷惑をかけることがあるって二十代前半で気づいたんです。だから、東京に来てからは会いたい人には会いに行けばいいじゃんみたいなノリで生きてるところがあります。で、その人に気に入られたらラッキー、ダメで元々みたいな。

あと、さっき西島さんが言ってみたいなことはよくわかるんです。小説であの子のことを何年も思っていたみたいな物語を読んでも、何年も悩むなら会いに行けや〜って思うし、悩んでる方が自意識の問題を描けるから共感されるんだけど、そういうのは僕にはピンと来ないというか。

西島 でもそれは文学の側からすると、悩みが足りない、葛藤が足りないって話になるんじゃない。

―― だから、西島さんが言われたような世界がぶっ壊れてしまう話とか、祖父母から孫世代までの百年ぐらいのスパンの話とか、中上健次のサーガ的なものだったりするような話が好きで、結局は歴史みたいなものになるんです。

大きな時間や空間についてというものが好きなんだと思います。自分はちっぽけだってことがわかってるというか。だから、誰かと誰かの恋がメインの話を読みたいとか書きたいとは思わないんですよ。それはその長い時間の中で起きた出来事の一つみたいな感じとしては必要だなって思うんですが。

西島 ちゃんと書きたいものがあるなら、それでいいじゃん。楽しみです。あ、でも僕も物語を進めるエンジンとして恋愛を真ん中に置いていますけどね。

―― 『ディエンビエンフー』は思いっきりそうですよね。

西島 読者のコミュニケーションを促したり、癒し慰める作品ではないけれど、愛を否定しているわけではない。信じている。『世界の終わりの魔法使い』もそうですけど、一貫してポジティブに愛を描いているのに、あまりそうとは取られない感じが僕の作品の難しさだろうなと思います。少女漫画のように伝わりやすく設計されていない。

―― 『ディエンビエンフー』の主人公のヒカル・ミナミはリア充ですもんね。なんにもしてないけど生き延びてるし、可愛いお姫様とイチャイチャしてますね。

西島 ちゃっかり良い目に会っている。かわいいキャラクターだと僕は思いますけど、双葉社の担当さんは嫌いだそうです。

―― ヒカル・ミナミは西島さんっぽいですよね。

西島 謎の愛されキャラですね。僕と作品は関係ないとは思ってるけど、素が透けて出る部分はあるのかもしれません。

―― 西島さんは大友克洋さんとか岡崎京子さんから影響を受けていて大好きだけど、絵柄的にそうじゃないということがあって、それを含めての表現とか戦い方をされてますよね。

西島 リアルな絵も描けないし、少女漫画とも、萌え絵とも違う。漫画にしてはイラストレーション的とも言えますが、イラストレーターの自覚が希薄です。一見すると僕のタッチと全く異なる大友作品や岡崎作品が大好きだから、表層ではなく、骨格や構造を理解しています。そこに僕のちびっこいキャラクターを置いていく。絵柄ではなく、思想や設計を真似する。でも漫画を読んでいて「そこがすごい!」とは誰も思わないですよね。

―― 思わないですね。というか気づく人は西島さんと意識的なものが同じなんじゃないでしょうか。

西島 だからそこはスルーでいいです。個人的なこだわりなので。

―― 西島さんの作品で人気あるものって色々あると思うんですけど、『凹村戦争』や『ディエンビエンフー』に『世界の終わりの魔法使い』シリーズだと、西島さんから見てどれが人気あるって感じますか?

西島 やっぱり『ディエンビエンフー』だと思います。キャラクターじゃないですかね。商業的な漫画の作り方を学んでいない僕が、月刊連載という場所で最低限、それをできた作品だと思います。あと、別枠で『すべてがちょっとずつ優しい世界』ですね。

―― 残酷な描写が好きな人に、あえて可愛いらしいキャラクターのギャップとかの驚きも与えた部分はありますよね。

西島 描ける絵で描いているだけですけどね。ギャップが目的ではないけれど、ネームという漫画の構造を理解すれば、例えば『プライベート・ライアン』の手榴弾で兵士がパッと弾ける、そういう瞬間は僕の絵でも再現できます。つまり「衝撃」の再現はできる。そういう「衝撃」や「感情」を再現しようと僕なりに足掻いている。あとは各キャラクターが僕の知らないところで愛されてますよね。インソムニアもそうだし、ディンも。それは嬉しい。

―― なるほど、『ディエンビエンフー』が例えばnetflixで放送されていても違和感はないですよね、アニメで見たい作品だなって思います。

西島 いいですね、『DEVILMAN crybaby』の流れで。過去にアニメ化の企画はあって、パイロットフィルムも作られましたが、政治も含む作品だし、残酷だし、その時は企画を通すのが難しかったみたいです。凍結されました。

―― 地上波で規制するよりも、netflixで全開でやってもらった方が、むちゃできて作品が活きそうです。

西島 そうですね。むしろ攻められる。『ディエンビエンフー』の角川版はフランス語でも出ているし、『IKKI』版はタイ語や韓国語版が出ていますが、英語版はまだ出ていないから、アメリカ人が『ディエンビエンフー』をどう読むのかは知りたいですね。
(vol.6に続く)

取材・文/碇本学

<プロフィール>
西島大介/漫画家
1974年、東京生まれ。90年代末からイラストレーターとして活躍。2004年『凹村戦争』(早川書房)で漫画家としてデビュー。以降、『世界の終わりの魔法使い』(河出書房)、『ディエンビエンフー』(小学館)、『すべてがちょとずつ優しい世界』(講談社)、最新作『ディエンビエンフー TRUE END』が現在、『月刊アクション』で連載中。音楽活動としてDJまほうつかいとしてHEADZより『Last Summer』など音源をリリース。また、アート活動してクレマチスの丘NOHARAにて「ちいさなぼうや」展などを開催と活動は多岐に渡っている。

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