インタビュー
映画人の仕事

第8回 特殊メイク・特殊造形アーティスト/百武朋さん【前編】

百武朋さんに聞く、特殊メイク・特殊造形の仕事とその未来!【前編】

 ある雨の日、杉並区にある百武朋さんのアトリエを訪れると、そこはもうワンダラン! 天井近くに飾られる、見たことのあるマスクの数々。棚に所狭しと並ぶ見たことのあるキャラクターの数々。当然ながら全部一点物。というか、百武さんご自身が製作したものです。「すげぇ......」。思わず声を漏らしつつ、取材スタート。
 というわけで今回は、『仮面ティーチャー』のマスク、『20世紀少年』のともだちマスク、中島哲也監督『告白』『渇き。』の特殊造形・特殊メイク、『体脂肪計タニタの社員食堂』のデブメイクなど、様々な映画作品で活躍する、日本を代表する特殊メイク・特殊造形アーティスト、百武朋さんに、その仕事の裏側を、前・後編の2回にわけてじっくり伺います! 

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アトリエには百武さんが手がけた貴重なマスクの数々も飾られていた!


はじまりは、『コミックボンボン』。

 高校卒業後、日活映画芸術学院と代々木アニメーション学院を経て独立。以来、映画をはじめTV番組やMVなどの特殊メイク・特殊造形の分野で活躍している百武朋さん。もうじきこの道20年。特殊メイクというちょっと特殊な仕事に就くことになる、その萌芽は、子ども時代にすでにあったようです。

「小さい頃はウルトラマンや仮面ライダー、ゴジラとかが大好きで、『コミックボンボン』に載っていた海洋堂の"怪獣の作り方"を見ながら、紙粘土で怪獣を作ったりしてました。親が美術系の職業だったので、僕にとっても絵を描いたり工作したりすることは身近な行為でしたから。で、その後、『スター・ウォーズ』『グレムリン』『ゴーストバスターズ』などのブームがくると、さらに特殊メイクや特殊造形に興味を持つようになりました。ダミー人形の作りの方もちょっと本格化して、油粘土で原型を作って型を取り、ゴムを流して作るというやり方に変わっていきました」

 ちなみに、百武さんが小学校時代を過ごした80年代初頭は、日本のフィギュア文化の始まりともいえるガレージキット黎明期。一方でガンプラブームなども訪れていましたが、まだまだフィギュアの種類は少なかった時代。つまり、「欲しければ自分で作る」。そんな時代だったのです。

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引き出しの中の仕事道具。


本当に好きなことしかやりたくなかった。

 さて、時は流れて高3の冬。「本当に好きなことしかやりたくなかった」という百武さんは、ハリウッドを拠点に活躍する特殊メイク&特殊造形の第一人者、スクリーミング・マッド・ジョージ氏に会いに行くというツアーを、雑誌にて偶然発見し参加を決意。「せっかく行くなら単なる観光で終わらせたくない。必ず名刺をもらって帰って、仕事のきっかけにする」と目標を掲げて単身渡米したそうです。そしてこの出会い以降、百武さんはマッド・ジョージ氏を師と仰ぐように。

 で、高校卒業後、当時日本に2校しかなかった特殊メイクが学べる学校の一つ、日活映画芸術学院(残念ながら現在は閉校)に入学。当時の講師であり、後に同校の学院長も務めた映画美術の巨匠・木村威夫氏からは、在学中からSMAPやWOWOWの仕事などを振ってもらっていたそうです。

「そういう学校だったんです。先生が現役で活躍する方々だったので、できると思えば生徒にも仕事を振ってくれていました。結局公開はされませんでしたが、『熊楠』(※)という映画で亀を作ったりもしましたね」
※『熊楠』=南方熊楠の生涯を描く(予定だった)映画。中沢新一原作、監督山本政志、町田町蔵主演で製作が進められるも、資金難によりお蔵入りになった。


好きなものを作りたい。だから自分で仕事を作るしかなかった。

 さらにその後、代々木アニメーション学院で特別講師をすることになったマッド・ジョージ氏からの誘いで、日活映画芸術学院卒業と同時に同校に入学。同校で、ハリウッドで活躍する辻一弘氏(アカデミー賞に2度ノミネートされ、現在は現代美術アーティストとしても活躍中)からも特殊メイクを習います。

「代々木にいた頃は、"自分はできる!"って勘違いしていた時期だったので(笑)、関係ない授業にはまるっきり出なかったんです。その代わりに、松井祐一さん(『キル・ビル Vol.1』をはじめ、多くの映画作品で活躍する特殊メイクアーティスト)や、レインボー造型から独立した岡本健三さんに付いたりしながら勉強していました」

 まさに「習うより慣れろ」な学生時代を過ごした後、前出の松井祐一さんのアシスタントを約半年務めて独立。ところで、特殊メイクには就職という選択肢はあまりないのでしょうか!?

「もちろんあるにはありましたが、当時はすごく少なかったんです。というのも、僕らの時代はちょうどバブル崩壊後で、バイトならあるけど社員は難しいという時代でした。むしろ実際に仕事があるんだろうか?というぐらいの状況で。でも一番は、何よりも好きなものが作りたかったから。どこかに所属すると、好きなものって作れないじゃないですか。だから、自分で仕事を作るしかないなと思って、独立しました」


テレビ&MVから映画へ。30代が転換期
 個人で仕事を始めた初期の頃は、先輩のピエール須田さんから紹介された『SMAP×SMAP』や『笑っていいとも!』などのテレビ関係の仕事や、矢沢永吉さん、及川光博さんらのプロモーションビデオなどを手掛けていたという百武さん。そこから映画の方へとシフトチェンジするきっかけが、30歳の時に参加した『CASSHERN』(2004年)だったそうです。

「アシスタント時代に、返却のために師匠のマスクを抱えて街を歩いていたら、たまたま遭遇した友人からCG業界では超有名なマットペインターの木村俊幸さんを紹介されたんです。それきり木村さんとはお会いしていなかったんですが、実はその時のことを覚えてくれていて、10年後に突然『CASSHERN』(※木村氏がコンセプトデザイン&VFXスーパーバイザーとして参加)に呼んでくれたんです。初めて1年間がっつりとやらせてもらって、そこからだいぶ人脈も仕事も広がりました。『CASSHERN』を観てくださったプロデューサーの方が『妖怪大戦争』に誘ってくれたり、その『妖怪大戦争』で十数年ぶりに一緒に仕事をした元師匠の松井さんが『どろろ』で声をかけてくれたり。助監督さんや監督さんの知り合いもできて、どんどん繋がっていきましたね」

 やっぱり映画業界は、繋がりと人脈が大事なんですね!

・・・後編では、特殊メイク&特殊メイクの業界事情などお聞きします。お楽しみに!
(取材・文/根本美保子)

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百武朋(ひゃくたけ・とも)

1972年、岩手県生まれ。特殊メイク、特殊造形、キャラクターデザイナー。日活映画芸術学院で映画美術を学び、卒業後、代々木アニメーション学院で特殊メイクを学ぶ。1995年に独立、フリーランスとして仕事をした後、2004年に(株)百武スタジオを設立。主な参加作品に、紀里谷和明監督『CASSHERN』(キャラクターデザイン・特殊メイク・特殊造形)、三池崇史監督『妖怪大戦争』(キャラクターデザイン・特殊メイク・特殊造形)、塩田明彦監督『どろろ』(キャラクターデザイン・特殊メイク・特殊造形)、堤幸彦監督『20世紀少年』(ともだちマスク制作)、武内英樹監督『テロマエ・ロマエ1、2』(特殊メイク)、清水崇監督『魔女の宅急便』(ジジ、カバ制作)など。また、これから公開の映画では、中田秀夫監督『MONSTERZ(モンスターズ)』、中島哲也監督『渇き。』、樋口真嗣監督『進撃の巨人』、山崎貴監督『寄生獣』などにも参加!

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