映画業界で活躍するすごい映画人に、「仕事としての映画」について語っていただくコーナー。第6回は、助手時代に日本を代表するカメラマン・木村大作さんに師事した、若手きっての実力派カメラマン、山田康介さんを訪ねました。フリーカメラマンの多い現在の映画業界ではレアケースの、東宝の"社員"カメラマン。『神様のカルテ』(2011年)で一本立ちされ、今後のさらなる活躍が期待される山田さんに、カメラマンの仕事!についてや、カメラマンになるまでのいきさつなどを、たっぷりとうかがいました。
カメラマンの存在を、初めて意識した作品『セブン』
映画作りの仕事の中でも、花形なイメージがあるカメラマン。技術と感性、両方を備えたこの仕事、憧れる人も多いのではないでしょうか? 10年以上もの長い下積み期間を経て、カメラマンデビュー作『神様のカルテ』が大ヒット。まさに王道!とも言えるような道を歩んで来られた山田康介さんは、1976年生まれの37歳。家の向かいがレンタルビデオ屋だったことから、子どもの頃から映画に親しんでいたという山田さんですが、"カメラマン"という存在を初めて意識したのはあの作品でした。
「高校時代の『セブン』との出会いは、けっこう衝撃でした。それまでは基本的にストーリーに重きを置いて映画を観ていましたが、『セブン』で初めて撮影のルック(色のトーンなど絵的な世界観)の作り方みたいなものに意識が向いたんです。すごく漠然とではありますが、自分も映画を作ってみたいなって思いましたね」
そんな高校時代に所属していたのは、映画部ではなくてラグビー部。おじいさんの古いビデオカメラを借りて"出演・弟"の短編を撮ったことはあったけれど、映画作りとは無縁だったという山田さん。そんななかで生まれてきた「映画を作りたい」という漠然とした思いが本気に変わったのは、高3の頃でした。
「地元・久留米の汚い映画館に、日本映画学校のパンフレットが置いてあったんです。こういう学校もあるなら見てみようかな?とガイダンスを受けまして、そのままテストも受けて入学しました。学校は3年制で、2年の時に撮影コース、演出コース、編集コースにわかれんですが、その時に選んだのが撮影コースでした。観客よりも誰よりも、一番先に作品を観られることが魅力だったんですよね。あとは単純にカメラを触っているのも楽しかったですし、技術的なことも好きだったんです」
「僕、ちょっと向いてないです......」
「僕は他のカメラマンの方々に比べると、ちょっと特殊な経緯というか......。だいたいみんなフリーでやられていて、社員で撮影部という人自体があまりいません。珍しいパターンなんですよね」
と話す、山田さん。映画学校を卒業後、ずっと東宝映画の社員カメラマンとして活躍されています。入った当時は3人の部署だったそうですが、今ではたったひとりの部署に。まさに社員カメラマンとはレアな存在! ちなみにどんなご縁で東宝に入社されたんでしょうか?
「従兄弟が通っていたサッカー教室の友達のお父さんが東宝スタジオの電気室で働いていらっしゃって。映画学校の1年生だった頃に、東宝の撮影所を見学させてもらったんです。その時に、当時の技術課長の方を紹介していただいて"学校なんか行っても意味ねーよ"なんて言われながら(笑)、いろんなセットを見せてもらって。それから1年後、2年生の時にその技術課長の方から突然電話がかかってきまして、"人が足りないから手伝わないか?"って。撮影自体は2ヶ月半くらいやっていましたが、そのうちの2週間くらい、荷物持ちのような感じで手伝わせてもらったのが人生初の現場でした。それが『モスラ2』。でも現場のことはまったく何もわからないし、学校ではプロの機材とはまた違うものを使っていましたから、わけもわからず怒られるだけという日々を過ごしていましたね(笑)」
怒られてばかりとはいえ(笑)、初の現場が『モスラ2』とはかなり興奮しますよね?
「もちろんです! 昔は東宝スタジオの端っこに大プールというのがあって、その中にセットを立てて撮っていたのが面白かったですね。でもやっぱり、映画学校で自分たちが扱っていた16ミリのカメラに比べると、プロが使う35ミリのカメラは大きくて重くて大変だなぁって。先輩たちがすごくかっこよく見えました」
そしてさらにその1年後、卒業を間近に控えた山田さんに、またもや技術課長から電話が。
やはり上下関係はかなり厳しいものがあるんですか?
「どこの世界も一緒だと思いますが、やはり絶対なところはありますよね。罵声は当たり前。手足が出るところもあると聞きますが、僕は幸いにしてそれはなかったですね」
映画カメラマン、社員とフリーの違いは?
「仕事の内容は同じですが、雇用体系が大きく違います。フリーの場合だとある程度つてがないとチームに入れないということがあったりするので、そういう意味でフリーはほんとに厳しい世界だと思います。映画学校の同期もだいたいフリーになっていて、社員になった人は......やっぱりいないかな」
カメラマンになるにはどんなパターンがあるんですか?
「初めからフリーの助手というパターンの他に、機材屋を経て最終的にフリーの助手として世に出て行くというパターンもありました。機材屋というのは、機材のレンタル屋さんです。映画の撮影機材ってものすごく高価なので、個人で所有するのは難しい。最近はデジタルになってカメラを個人で買う人もいますが、僕が新人だった当時はまだフィルムが主流で、カメラ1台1500万〜3000万。なので毎回、機材屋で借りるんです。その機材屋さんに研修生という形で映画学校や大学の卒業生が入って、機材の研修を受けながら知識を学び、そこから撮影助手になっていくという流れもあります。そうするとある程度機材の知識がありますから、最低限のことは知っている状態で現場に見習いとして入れるんです。でも、映画学校にしても機材屋にしても、そこを卒業して外に出て続けていくには、本人の人間性は然り、人との縁がすごく大事な世界だと思います。ひとつひとつの出会いを大事にしていけば、気がつくとカメラマンになっているのかも知れませんね」
カメラマンってどんな仕事ですか?
「まず、カメラマンがいて、その下にチーフ・セカンド・サードがいるというのが一番シンプルな体制です。さらにその下にフォースという見習いのような人間がつくパターンも。上下関係があるとはいえ、撮影部は他のパートと違って各ポジションの責任がかなり分担されているのも特徴かな」
というわけで、カメラマンの助手であるチーフ・セカンド・サードの主な役割について、山田さんに解説をしていただきます!
★サードの仕事
「基本的にはフレームの外のことがサードの仕事で、主にはフィルムの管理、機材周りの管理をします。フィルムを詰める仕事というのも簡単に聞こえるかも知れませんが、蓋をあけてしまえばその日撮影したものが全部パーになるっていうぐらい、責任重大な仕事なんですよ」
★セカンドの仕事
「例えばバレモノ(写ってはいけないもの)のチェックやフォーカス合わせなど、画の中にまつわることがセカンドの役割。特にフォーカスを合わせる仕事は重要です。フォーカスをぼかしてしまうとあとで修正がきかないので、最終的な絵にかかわってきますから。ちなみにファインダーを覗いているのはカメラマンなので、セカンドは目勘でフォーカスを送ります。メジャーで被写体との距離を測って、俳優の動きに合わせてピントを合わせていくんです。今はデジタルでモニターを見ながら送ることもできますが、僕がやっていた当時はほとんどフィルムだったので、もう全部目勘ですよね。また、カメラマンがやりたいことを一番間近で見られるので、一番楽しいポジションでもあるかもしれません」
★チーフの仕事
「露出の決定と光のバランスを見るというのが、現場での最低限の仕事です。露出計を使って、カットとカットの繋がりを見たりします。他にも、照明技師とのコミュニケーションや、撮影を進行するうえでの段取りなどやることはいっぱいあります」
これらを全部たどって、一本立ちするのです!
「なかにはこういうのを経験せずにカメラマンになる人もいますが、基本的にはこの流れをたどって一本立ちします。僕の場合は、一本立ちするまでに12年かかっていますが、上がるタイミングはケースバイケースですね。特に決まりもないですし。上の人が上がったら上がる。チームで誰かがいなくなったから上がるなど、いろんなケースがあります」
カメラマンへの道のり......長い! まさに職人といった感じです。後編では、映画撮影でのエピソードや好きな映画などをお聞きしています! お楽しみに!