佐藤天彦八段が振り返る王座挑戦の軌跡

昨年、第63期王座戦でタイトル初挑戦を果たした佐藤天彦(さとう・あまひこ)八段。五番勝負の前半戦を自身の筆で振り返る。

* * *

第63期王座戦、開幕。
天まで届こうかというタワービルが見えたときはついにここで始まるのかという感慨を覚えた。第1局の対局場である「横浜パークホテル」だ。
チェックインを済ませ、スイートルームの一室に案内される。豪華な部屋で、窓から望む夜景もすばらしい。
タイトル戦という舞台で指させてもらえるぜいたくさと、特別な雰囲気を早くも感じた。
夕方からは検分、そして終了後に会食。王座戦には前夜祭がなく、この会食も少人数によるこぢんまりとしたものだ。
アットホームな空気で楽しく会話も弾み、リラックスして対局前日を過ごすことができた。
そして対局当日、開始直前。駒を並べてから思う。これだけの環境を整えてもらって指すことができるのは本当にありがたいことで、これに応えたい。
ただ、結局のところ自分にできることは限られてもいる。いつもどおり目の前の一手一手で最善を尽くすしかないのだ。
そんな思いを新たにし、僕はタイトル戦初対局に臨んだ。
振り駒で後手番になり、戦型は横歩取りに。中盤が非常に難しい将棋で、結果的にはこの難解な中盤戦でのミスが敗因となり、僕は第1局に敗れた。
中盤以降、羽生さんはほとんど間違えなかったと思う。相手は将棋史上の中でも最高峰の棋士の一人。分かっていたことではあるが、これから大変になるぞという気持ちになった。それと同時に、僕は自分の前に立ちはだかる次なる壁を見いだした。
大変だけれど、これを乗り越えたい。乗り越えてみせる。
第2局は「ウェスティンホテル大阪」にて行われた。
対局は先手番で角換わりに。中盤からの相手の攻めをいなし、少しずつリードを広げていく展開。夕食休憩前に優勢になったのだが、タイトル戦初勝利に向けてそこまでの気持ちの揺れはなかった。というより、まだ勝つまでは大変だと思っていたし、読みの確認をしていた。
夕休明けから30分ほどが過ぎ、羽生さんが投了。これでタイトル戦初勝利となった。連敗して第3局を迎えるのは避けられた。だが、喜びに沸き立つような感情もなかった。まず1勝できたのはうれしいが、これから先も厳しい戦いが続くのだ。
第3局は新潟の旅館「龍言」にて。旅館でのタイトル戦はこれが初めてだ。前日に庭を散歩したり、鯉(こい)や鴨(かも)にえさをあげたりして楽しく過ごした。
後手番で、第1局と同じように横歩取りになった。おおまかには予定していた形になったのだが、その研究とは違う攻め筋が見えた。今まであまり見たことのない、面白そうな手だ。
もちろん、むやみに積極的になればいいというものでもない。だが、大勝負だからといって萎縮したくもない。ある程度の読みの裏付けがとれたので、僕はその攻めを敢行した。
羽生さんは大長考。その末に指されたのは決断の一着とも言える手だった。一局の将棋として、そしてタイトル戦全体としても難解な中盤戦に突入した。
■『NHK将棋講座』連載「『貴族』 天彦がゆく」2016年1月号より

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