お経のはじまりとは

仏教の出家修行者(スリランカ)
ブッダの最後の旅の様子がストーリー仕立てで描かれた「釈迦の仏教」の流れを汲(く)む古い『涅槃経(ねはんぎょう)』は、日本の一般の人にはあまりなじみのない経典だが、タイやスリランカなどの南方仏教国では、今も基本経典の一つとして大変重要視されている。4月の『100分de名著』では、花園大学教授の佐々木 閑(ささき・しずか)氏が、この『涅槃経』を読み解いていく。まずはお経のはじまりについて解説していただこう。

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仏教の開祖ブッダ(呼び名は釈迦、釈尊〈しゃくそん〉、釈迦牟尼〈しゃかむに〉、ゴータマ・シッダッタなどありますが、今回は「ブッダ」で統一します)は、今から約2500年前にインド北部の王家に生まれました。幼い頃は王子として何不自由ない生活を送っていましたが、成長するにつれて、人間は「老いと病と死」の苦しみで悶(もだ)え続ける生き物であることを知り、29歳で新たな生き方を求めて出家します。
最初は断食などの苦行に没頭しましたが、いくら肉体を痛めつけても心の苦しみは消えないということに気づき、方向を転換して「心」の修行に励むようになります。そして35歳の時、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開き、その後は各地を旅しながら多くの人々に教えを説いてまわり、80歳の時にクシナーラーという田舎の村で亡くなりました。
まず、「お経」というものについて簡単に説明しておきましょう。ブッダは、悟りを開いてから亡くなるまでの間、各地を旅しながら様々な教えを説いてまわりました。とはいっても、決して全体としてまとまった一つの哲学や思想を語ったわけではありません。困っている人、悩んでいる人が訪ねてくると、その人の状況に合わせて個別に教えを説いたのです。つまり、人生相談のように時に応じて対面で説法したのです。したがって、本来のブッダの教えというものは、短い、断片的なものだったはずです。当時はまだ文字に書いて記録するという文化はありませんでしたので、そういったブッダの言葉は、聞いた人の記憶の中にだけ保存されていました。
ですからブッダが亡くなって人々の記憶が失われてしまえば、その段階でブッダの教えも永遠にこの世から消滅してしまいます。それを恐れた弟子たちは、ブッダが亡くなるとすぐに皆で集まって、聞き覚えているブッダの言葉を、その場の全員で共有することにしました。伝説によると、アーナンダ(阿難〈あなん〉)というお弟子さんが一番たくさんブッダの言葉を覚えていたので、彼が500人の仲間の前で自分の覚えているブッダの言葉を口に出して唱え、それを皆で一斉に記憶したということです。これによって、500人の弟子が、同じブッダの言葉を頭の中に覚え込んだことになります。そして彼らはインド各地へと散らばっていき、それぞれに、口伝えの伝承で次の弟子、次の弟子へと教えを受け渡していきました。
やがてブッダの死後、3、400年がたつと、文字で書き記すという文化がインドにも定着します。それで当時の弟子たちは、記憶の中にあった教えを文字にして残すようになりました。紀元前1世紀ぐらいのことです。ブッダの教えが、ヤシの葉や木の皮に文字で記録されるようになったのです。これが「お経」というものの源流です。こういった動きの中で、本来は断片的であったはずのブッダの言葉も次第に編集され、長いお経や、複雑で高尚なお経も作られるようになっていきます。素材は間違いなくブッダの教えなのですが、それがのちの人の手によって立派な「聖典」として整形されていったのです。その数は大小とりまぜて5000本にものぼります。
■『NHK100分de名著 ブッダ 最期のことば』より

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