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「吉田秀和という、雲の上の目標」 アノヒトの読書遍歴:片桐卓也さん(後編)

 前編では、青春時代の読書の思い出を語ってくださった、音楽ライター/ジャーナリストの片桐卓也さん。続いてのお話は、「クラシック音楽の原稿を書いて食べている身として、触れずにはおられない方」と言う音楽評論家の吉田秀和さんについてです。

「吉田さんは日本の音楽評論の草分けの方。その文章にはすごく惹かれるところがあるんです。ただ惹かれながらも、絶対にその世界には近づくまいと思うような......。要するに、同じ土俵の上では絶対に戦えない人。それぐらい素晴らしい評論家なんです」

 片桐さんが吉田さんの名前を初めて知ったのは、中学生の頃。NHK-FMで放送されていた吉田さんのラジオ番組『名曲のたのしみ』のリスナーだったのだそうです。ちなみにこの『名曲のたのしみ』は1971年にスタートし、吉田さんがお亡くなりになった2012年まで、40年以上も続いて超長寿番組でした。

「実は吉田さんは、クラシック音楽の評論だけでなく、絵画の評論もすごくたくさん書かれていて。中でも比較的初期の頃に書かれた、パウル・クレーの絵についての文章がすごく面白いんです。いろんなところで読めますが、お薦めは『吉田秀和全集第10巻』。エッセーばかりを集めたもので、クレーなどの絵画のことから始まり自分の交友関係などすべてに渡ったエッセーが収録されています。かなり厚いので、読むのはけっこう大変かもしれませんが」

 吉田さんが遺したクレーの絵についての文章。片桐さんが特に唸ったのは、「天使」の分析の最後の方に出てくる、こんなフレーズでした。

----彼の美しい言葉を借りれば、「芸術は、見えるものを再現するのではなく、見えるようにする」行為なのである。

「これはクレーの絵を分析しながら吉田さんがたどり着いた結論でもあります。そのことを、クレー自身の言葉を引用して書かれている。しかもこれって、ひとつの芸術ジャンルだけでなく、音楽、映画、写真、それ以外のあらゆる芸術に通じる有用な言葉だなと思うんです。そういうことを、さりげなく書いちゃう凄さ......。音楽でもそうです。聴いた時の印象だけでなく、その中に何が入っていて、どういう順番でどう構成していてその結果どうなるのか、非常に論理的に突き詰めながらも、非常に柔らかい文章で書かれます。しかもそこには、誰にも真似ができない絶妙な間の良さであったり、文章による一種の芸術のような表現が隠されている。もう太刀打ちできない感じがありますね(笑)。吉田さんの文章は、クラシックを良く聴かれる方だけでなく、それ以外の方にもぜひ読んでいただきたいですね」

 ちなみに、吉田秀和ビギナーでいきなり全集第10巻から読み始めるのはキツい......という場合は、モーツァルトの音楽についての評論やエッセーをまとめた文庫『モーツァルトをきく』(ちくま文庫)がお薦めだそうです。
 
 そしてもう一冊、片桐さんが太鼓判を押すのが、村上春樹と小沢征爾がクラシック音楽について語った対談集『小沢征爾さんと、音楽について話をする』。

「音楽に詳しい方は世の中にたくさんいると思いますが、このふたりの会話の中身というのは、かなりマニアックなんですよね。例えばベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第3番ハ短調』という曲の出だしの部分について延々と語り合ったり、こういう風にすれば面白いのにというアイデアもあったり。すごく内容の濃い本で、これを読んでクラシック音楽に入門する人がいてもいいのかなとも思います」

 そう語る片桐さん、村上春樹の小説も処女作から欠かさず読んでいるそうです。

「一番好きなのは『羊をめぐる冒険』です。何度も繰り返し読みすぎたので、どこが好きかというポイントももはや失われているんですが。最後の喪失感は強く心に刺さりますし、作品が書かれた時代をすごく反映しているように思います。それからもう一冊、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』も大好き。この物語にも親友を失っていく喪失感が描かれていますよね。『羊をめぐる冒険』と『長いお別れ』、二冊がお互いに共鳴し合うような感覚が僕の中にはあり、折に触れてこの二冊は読み返しています」

 『長いお別れ』を下敷きに書かれたとされる『羊をめぐる冒険』。別々の作家によって別々の時代に書かれ、別々に存在する本同士が共鳴し合う感覚。なんとも素敵です。片桐さん、ありがとうございました。

(クレジット)
取材・文=根本美保子

(プロフィール)
片桐卓也(かたぎり・たくや)
1956年福島県生まれ。音楽ライター/ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経てフリーの編集者&ライターに。1990年頃からクラシックの演奏家への取材に精力的に取り組み、現在『音楽の友』『モーストリー・クラシック』などクラシック音楽専門誌を中心に活躍中。著書に『クラシックの音楽祭がなぜ100万人を集めたのか 〜ラ・フォル・ジュルネの奇跡〜』(ぴあ刊)、共著に『この曲、わかる? 聴きながら楽しむクラシック入門100』(ヤマハミュージックメディア刊)など。

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