コミケ初代代表が語る「コミックマーケットを作った理由」
- 『コミックマーケット創世記』
- 霜月 たかなか
- 朝日新聞出版
- 円(税込)
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2013年12月29日~31日の3日間にわたって、東京ビッグサイトで開催された「コミックマーケット85」。延べ52万人を集めるにいたったコミケが、1975年に約30坪の会議室から始まったことをご存知でしょうか。
コミックマーケットの初代代表となった霜月たかなか氏が、コミケの創世と歩みを振り返っている書籍が『コミックマーケット創世記』です。
スピルバーグ監督の出世作『ジョーズ』の日本公開、400万枚のヒットとなった「およげ!たいやきくん」のレコードが発売された年となった1975年12月21日(日)に、第1回コミックマーケットは開催されました。会場は、東京・虎ノ門の日本消防会館の会議室。前もっての告知は、雑誌『別冊少女コミック』『ぴあ』『シティロード』に掲載されたもののみでした。
「同人誌」という名称は馴染みが薄く、よりわかりやすい「まんがファンジンフェア」としての開催となった1回目のコミケには、有志によるまんが創作サークル、各大学の漫画研究会、アニメ系サークル、効果音のレコードを販売したサークルなどが参加しました。
集客の中心は、少女まんがファンを虜にした萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子らの「花の24年組」好きで、会場はちょっとした「萩尾望都ファンフェスティバル」になったとのこと。約700人の一般参加者のうち、約9割が少女まんがファンを中心とした女子中高生であったといいます。ファン自らが創りだした少女まんがブームは、1980年代におけるコミケの一大潮流となり、商業誌を巻き込んだ「BL」「やおい」ブームを開花させたと、霜月さんは分析します。
なぜ、霜月さんらは、コミックマーケットを作ったのでしょうか。それは、「自分たちで流通経路を作ればいい」という想いから。当時、まんが読者が「自分もまんがを描きたい」と思ったとしても、プロとなって身を立てるか、あるいは諦めて筆を折るかの選択肢しかありませんでした。そんな中、登場したのが、受け手の側からの発信を可能にする同人誌であり、書店販売か郵送での取引に限られていた流通に新しい"場"をもたらすコミックマーケットでした。
「まんが出版物の刊行点数、そして部数が右肩上がりの成長を続けていた時代のなかで、まんがを読むだけに飽きたらなかったファンの心を、コミックマーケットはいわば鷲掴みにしてしまったのだ。それは同人誌即売会という場を与えただけではなく、パロディ、アニメ化といった『まんがの遊び方』を教えてしまったことにもよるのだが、そのことによって、コミックマーケットはさらに僕の予想をはるかに超えて展開していくことになってしまった」(霜月氏)
今では、全国のアニメ好き、マンガ好き、コスプレイヤーが集う場となったコミックマーケット。ドコモ、au、ソフトバンクなどの携帯キャリアが、アニメのキャラをあしらった移動基地局車を出し、ディズニーをはじめとする大手企業も出展する一大イベントになりました。そんなコミケが生まれるきっかけとなったのは、まんがの新しい遊び方を伝える場を作りたい、という想いでした。
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