800年の歴史を刻む、すご腕の仏たち──三十三間堂・十一面千手千眼観世音菩薩像

ナビゲーターの和田 彩花さん 撮影:岡田ナツ子(Studio Mug)
大勢の人がずらりと並ぶと、圧倒的な迫力を感じます。仏像の世界も同じで、三十三間堂には、1001体の千手観音像が整列。しかも、それぞれが11の顔と42の手をもっているので、何十倍もの力で迫ってきます。当時、京都や奈良で活躍していた名仏師たちが、派閥を超えた強い力で結ばれ、一気に仕上げた仏像群です。駒澤大学教授の村松哲文(むらまつ・てつふみ)さんに、三十三間堂の十一面千手千眼観世音菩薩像(じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおんぼさつぞう)の成り立ちをうかがいました。

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今では三十三間堂の名前で親しまれていますが、正式には「蓮華王院」といいます。長寛(ちょうかん)2年(1164)、千手観音をまつる仏堂として、後白河上皇(1127〜92)のために平清盛(1118〜81)が建てたものです。仏堂は創建当初から、通称「三十三間堂」と呼ばれました。この呼称は、お堂の柱と柱の間の数が33あること、観世音菩薩が33の姿に変身すること、などにあやかっています。
観音の33の働きについては、『法華経(ほけきょう)』の中の「観世音菩薩普門品第二十五(かんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうご)」に具体的に説かれています。困難に陥った人が助けを求めると、必要に応じて、梵天(ぼんてん)や毘沙門天(びしゃもんてん)、阿修羅(あしゅら) 、童男(どうなん)・童女(どうじょ)など33の姿になって、救済してくれるというものです。現代流でいえば、医師や看護師、警察官、消防士、男性、女性、子どもなどに当てはまるのかもしれません。
三十三間堂のお堂は東向きで、南北に細長い建物です。中央に中尊(ちゅうそん)の千手観音坐像、左右に500体ずつ、計1001体で千手観音としてまつられています。千体千手観音立像は前後10列で階段状に配置。その前には、千手観音に従う二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)と風神(ふうじん)・雷神像(らいじんぞう)の計30体が、1001体の観音像を守るかのようにずらりと立ち並んでいます。800年以上に渡ってここにたたずみ、人々を守り、三十三間堂とともに歩んできたパワーのある仏たちです。
建久3年(1192)に後白河法皇が崩御された後も、随時、お堂の修繕は行われてきましたが、建長元年(1249)の大火によって、建物はほぼ焼け落ちてしまいました。そのとき、人々はお堂の中から、必死に仏像を救い出したのです。本堂が炎に包まれる中、やっと運び出すことができたのは、中尊の首と左手、千体像は156体、そして二十八部衆だけと伝わっています。
■『NHK趣味どきっ!アイドルと旅する仏像の世界』より

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