『戦争は女の顔をしていない』はどんな作品か

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』は、第二次世界大戦中、ソ連軍に従軍した女性たちの姿を、500人を超える証言者の声によって描き出した作品です。ロシア文学研究者の沼野恭子(ぬまの・きょうこ)さんが、最初の証言を引きながら、作品の概要を解説します。

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『戦争は女の顔をしていない』とは、どんな作品か。この作品をまだ読んだことのないみなさんにそれを感じていただくためにまず、この本の一番初めに登場する証言者の言葉を読んでいただきたいと思います。彼女の名前は、マリヤ・イワーノヴナ・モローゾワ(イワーヌシュキナ)。狙撃兵として従軍した女性です。
これはごく平凡な話。ロシアのどこにでもいたありふれた少女の話。私の村があったヂヤコフスコエは、今はモスクワのプロレタルスク地区なの。もうじき十八歳というときに戦争が始まった。膝まである長いお下げ髪。戦争が長引くなんて誰も信じていなかった。(中略)
女の子たちは言ったの、「前線に出なけりゃいけない」。そういう空気が満ちていた。みんなして徴兵司令部の講習に通った。(中略)実戦用のライフル銃の撃ち方や手榴弾の投げ方を習っていた。それまではライフル銃に手を触れるのも怖かったわ。いやだった。誰かを殺しに行くなんて想像もできなかった。ただ前線に行きたい、それだけ。(中略)
勉強が始まった。(中略)眼をつぶったまま銃を組み立て、解体できるようになり、風速、標的の動き、標的までの距離を判断し、隠れ場所を掘り、斥候の匍匐(ほふく)前進など何もかもできるようになった。一刻も早く戦線に出たい、とそればかり。(中略)
それから私たちは前線に到着した。(中略)初めて「狩り」(狙撃部隊ではそう言ったの)に出たときのこと。(中略)私は撃つことに決めたの。そう決心した時、一瞬ひらめいた。「敵と言ったって人間だわ」と。両手が震え始めて、全身に悪寒が走った。(中略)ベニヤの標的は撃ったけど生きた人間を撃つのは難しかった。(中略)私は気を取り直して引き金を引いた。彼は両腕を振り上げて、倒れた。死んだかどうか分からない。そのあとは震えがずっと激しくなった。恐怖心にとらわれた。私は人間を殺したんだ。(中略)
これは女の仕事じゃない、憎んで、殺すなんて。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦みどり訳


『戦争は女の顔をしていない』岩波書店刊



彼女はこの後も戦場で戦い続け、後年の新聞記事によると「七十五人を殺害し狙撃兵として十一回表彰を受けた」といいます。
旧ソ連地域では、マリヤのような若い女性が百万人近くも、第二次世界大戦(大祖国戦争)に従軍したと言われています。この本は、アレクシエーヴィチ自身がソ連全土の女性たちを訪ね、時に言葉を失い、時に涙する彼女たちの話をていねいに聞き取ることによって生まれました。そして、私たちにとっては、「ごく平凡な話」でも「ありふれた少女の話」でもないマリヤの証言が、「どこにでもいた」少女たちが実際に経験した痛みや苦しみであることを、読み手に突きつけてくる作品です。
■『NHK100分de名著 アレクシエーヴィチ 戦争は女の顔をしていない』より

NHKテキストVIEW

アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (NHK100分de名著)
『アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (NHK100分de名著)』
沼野 恭子
NHK出版
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