戦国時代は応仁の乱からではない!? 日本史の分岐点となった7つの出来事を最新の学説をふまえて紹介
- 『教科書の常識がくつがえる! 最新の日本史 (青春新書インテリジェンス)』
- 河合 敦
- 青春出版社
- 1,078円(税込)
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「あのときああしていれば、自分の人生は確実に異なっていただろう......」。そんな人生のターニングポイントは誰にでもあるもの。そしてそれは"歴史"にも言えます。
歴史には、「『新しい流れ』をつくる決定的な出来事が必ず存在する」と言うのは『教科書の常識がくつがえる! 最新の日本史』の著者・河合 敦さん。本書は「近年の新説を多く交えながら、あまり知られていないけれどじつはスゴい、真に日本史の画期や分岐点になった出来事を厳選して解説」(本書より)した一冊です。
たとえば、人気の高い戦国時代について書かれた第3章を見てみましょう。みなさんは学生のころ、戦国時代は「応仁の乱」がきっかけで始まったと習ったのではないでしょうか。しかし近年の教科書では、地域によって時差があり、東国は享徳三年から始まる「享徳の乱」から戦国期に入ったと書かれているとのこと。『高等学校 日本史B 新訂版』(清水書院)には、「享徳の乱をきっかけに東国の武士は分裂し、成氏とその子孫と、上杉氏を中心とする勢力との間に三十年以上も騒乱が続き、東国は他の地域に先がけて戦国の世に突入した」との記載があります。
また、研究者の間で有力になりつつあるのが、全国的な戦国時代の到来は「応仁の乱」ではなく、「応仁の乱」が終結してから十六年後の明応二年に起きた「明応の政変」からだという説です。約十一年にわたって続いた「応仁の乱」が終結した段階で、室町幕府は再び統一され、しっかり機能し始めていたといいます。そのため「応仁の乱後に幕府が完全に力を失い、全国が下克上の世になって戦国大名たちが分国を拡大するために相争うようになったという解釈は正しくない」(本書より)と河合さんは記します。
実際は、幕府の実力者・細川政元が十代将軍の足利義材(のちの義稙)を廃して足利清晃(のちの十一代将軍・義澄)を将軍に迎えた「明応の政変」がきっかけであり、これを機に「将軍家は義材系統と義澄系統に分裂し、守護大名を巻き込んで争いを続けるようになった」「戦国大名の出自は、守護大名だったり、守護代だったり、国人だったりと多様だが、いずれにせよ、実力がものをいう時代に大きく変わった」(本書より)のだといいます。
ちなみに、「明応の政変」で細川政元を後援したのが、第八代将軍・足利義政の正室だった日野富子です。富子は悪女的イメージで描かれることがありますが、「近年は将軍家の対立は乱の一因に過ぎないうえ、富子のわがままについては史実的には怪しいと考えられている」(本書より)のだとか。新たにわかった史実によりキャラクター像が変わってくるのは、日本史をエンターテインメントととして楽しむ人にとって、たいへん興味深いことではないでしょうか。
他にも本書では、大海人皇子の吉野降り(671年)、保元の乱(1156年)、大津浜事件(1824年)、廃藩置県(1871年)、日比谷焼打事件(1905年)、ノモンハン事件(1939年)の六つが取り上げられています。
日本史の知識は学生のころのままだという人は多いかと思いますが、技術が進むと新たな歴史がわかってくることもあります。本書で歴史に関する最新知識をアップデートしてみるのもよいかもしれません。
[文・鷺ノ宮やよい]