現存する日本最古の仏像に会いに行く

飛鳥大仏が安置されている本堂。飛鳥大仏は、もともと三尊像だったが、両脇侍は焼失したとされる 撮影:岡田ナツ子
インドで起こった仏教は、広くアジアに広まり、お釈迦様(しゃかさま)の姿を表現した仏像がつくられるようになります。はじまりは、紀元1〜2世紀の古代インドのガンダーラ地方で、それから400年あまりを経て、日本でも釈迦如来像(飛鳥大仏)が誕生。その150年後には、巨大な盧舎那仏(奈良の大仏)がつくられ、日本の仏像はますます発展していくことになります。駒澤大学教授の村松哲文(むらまつ・てつふみ)さんが、現存する日本最古の仏像、飛鳥大仏が安置されている奈良県の飛鳥寺を案内してくれました。

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■日本の仏教始まりの地で、大仏様は今も人々を守る

のどかな田園風景が広がる奈良の明日香村。1400年前、ここは日本の中心地でした。仏教伝来により、最先端の飛鳥文化が花開き、天皇家や豪族によっていくつもの寺院が建てられました。『日本書紀』によると、天武天皇(てんむてんのう)9年(680)には、24の寺院があったようです。
最初に建てられたのが飛鳥寺で、名称は、「法興寺(ほうこうじ)」「元興寺(がんごうじ)」「飛鳥寺」などと呼ばれました。建立を発願したのは蘇我馬子で、第30代敏達天皇(びだつてんのう)から第33代推古天皇の時代まで、4代の天皇に仕えた権力者です。仏教導入を巡って物部氏(もののべし/豪族)と対立したものの、打ち破ってからは絶大な権勢を振るったとされています。馬子は日本で初めての女帝・推古天皇の伯父に当たり、聖徳太子と共に「冠位十二階」や「十七条の憲法」を制定したという説もあります。
すご腕の馬子によって創建された飛鳥寺は、今はこじんまりとしたお寺ですが、実は東西で200m、南北で300mもの規模を誇る大寺院であったことが、発掘調査で明らかになりました。ところが、これまで2度の火災に遭い、創建伽藍は焼失。飛鳥大仏はほとんど雨ざらしのような状態の時代もあったそうで、現在の建物は、江戸時代に再建されたもの。飛鳥大仏は誕生当時と同じ場所で、いくつもの時代を過ごし、人々を見守ってくれています。

■飛鳥大仏(釈迦如来坐像)

重要文化財 銅造 鍍金(ときん) 像高275.0cm 飛鳥時代 飛鳥寺蔵


推古天皇(すいこてんのう)13年(605)に推古天皇が聖徳太子や蘇我馬子らと発願し、同17年(609)に完成したとされる。当時銅15t、黄金30kgを使用。平安時代、鎌倉時代の火災により、全身を罹災した。体のほとんどが後世に修復されたものとされてきたが、近年飛鳥大仏にX線分析調査を行った結果、仏身に使われている銅の多くが飛鳥時代当初のものとの研究成果も発表されている。
■『NHK趣味どきっ!アイドルと巡る 仏像の世界』より

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