深層心理の三位一体

時間の倹約を持ちかける灰色の男の登場によって、町の人たちは時間に追われ、くたびれて不機嫌になっていきます。自分たちの計画を邪魔するモモを懐柔するため、灰色の男たちの1人がモモに接触しますが、話しているうちに、絶対に隠しておかなければならない自分の正体について口を滑らせてしまいます。彼らの目的は「人間から生きる時間を奪い、自分たちのために使う」こと。秘密を知ったモモに危険が迫りますが、カシオペイアという名の亀が現れてモモを廃墟から連れ出します。京都大学教授、臨床心理学者の河合俊雄(かわい・としお)さんはモモとカシオペイア、そしてこの後モモが出会うマイスター・ホラという老人は深層心理の三位一体であると指摘します。

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カシオペイアが亀であることに注目しましょう。亀は非常に多義的な生きものです。ゆっくり歩くことから時間の象徴であり、長生きすることから長寿の象徴でもあります。インドでは甲羅の形から宇宙の象徴ともされますし、古代中国では亀の腹甲を火であぶり占いをしていた歴史があります。
『モモ』のカシオペイアも予言的な存在で、少し先の未来がわかるという能力を持っています。そんな能力を持ったキャラクターが亀だというのはうなずける設定です。
少し物語を先取りしてしまいますが、カシオペイアがモモを連れて行こうとしているのは、マイスター・ホラという老人のところでした。マイスター・ホラは、時間の国で時間をつかさどる人物。モモ、マイスター・ホラ、カシオペイア。物語の後半では、この三人が町の人を救うために灰色の男たちに立ち向かいます。
ここで、この三人の組み合わせについて考えてみたいと思います。物語のはじめに登場した三人組といえば、モモ、ベッポ、ジジでした。親友であるこの三人は、現実世界における三位一体であるといえます。一方、モモ(少女)、マイスター・ホラ(知恵のある老人)、カシオペイア(動物)の三人は、深層心理における三位一体を表しています。
心理療法の一つに箱庭療法というものがあります。1929年にイギリスの小児科医マーガレット・ローエンフェルトが発表し、スイスのドラ・カルフが発展させた療法で、クライエントが砂の入った木箱とさまざまなミニチュアで自由にイメージ表現を行う手法です。日本では臨床心理学者の河合隼雄(かわい・はやお)が導入し、発展させました。
箱庭療法において、摂食障害の人、特に一昔前の拒食症の人がつくる箱庭には、しばしば少女と老人男性と犬が出てくることを河合隼雄は指摘しています。摂食障害になるのは圧倒的に女性が多いのですが、箱庭の少女は、大人とか性を排除した自分を表していると解釈できます。そして、多くの場合で女性性との葛藤(かっとう)があるため、母親や若い男性は登場しません。男性として出てくるのは老人で、これは知恵を象徴します。また、摂食障害者の夢にはよくビルや塔が出てくるのですが、これは当人にとって精神の崇高さが重要であることを表します。箱庭においては、そのシンボルとして知恵のある老人男性が出てくるのです。それに対して動物である犬は本能を表しています。
摂食障害者のつくる箱庭に登場する三者と、『モモ』の後半で活躍する三人で、組み合わせが一致することは、とても興味深いことだと思います。摂食障害は現代の病で、しかもダイエットという形で現代の生活様式に組み込まれています。ですから、摂食障害者のこころの深層に生じてくる三者の組み合わせが、同じように現代の問題である時間の支配の解決のために生まれてくるのは必然的であって、『モモ』が本質をとらえていることを裏付けていると思います。
■『NHK100分de名著 ミヒャエル・エンデ モモ』より

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ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年8月 (NHK100分de名著)
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河合 俊雄
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