モモはなぜ人の話をいつまでも聞けたのか

モモを相手に話をしていると解決策が浮かんでくる——そんな類い希なる才能で「みんなにとって、なくてはならない存在」になったモモ。なぜモモはそのように人の話を聞くことができたのでしょうか。京都大学教授、臨床心理学者の河合俊雄(かわい・としお)さんに伺いました。

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人に話を聞いてもらうことで悩みが小さくなる。多くの人に似たような経験があるのではないでしょうか。飲み屋の主人に愚痴を聞いてもらったら気持ちが軽くなったというのはよくある話ですし、自分の中で悩みを深め、身体症状を伴うようになった患者も、カウンセラーが時間をかけて話を聞くことで気持ちが落ち着き、解決の糸口を見出せることがあります。
では、なぜ人に話を聞いてもらうと気持ちが楽になるのでしょうか。
私は、それが相手に何かを託すことができる行為だからだと思います。日常生活において、人に何かを託すことは意外と難しいものです。こちらが真剣に話しても相手が受け取ってくれなかったり、話を逸(そ)らされたりします。
相手の話を受け取るというのは、実はなかなかしんどいことです。ですから、聞き手はちょっと違う話をしたり、「こうしたらいいんじゃない?」とすぐにアドバイスをしたりして話を逸らします。あげくのはてには「自分の若い頃は」と自分の話になります。しかしこれでは、話す側としては、本当に大事なところは受け取ってもらえていないと感じるでしょう。
裏を返していえば、そこを託せたと思えるだけで人はだいぶ楽になるのです。心理療法の現場では、これが何をおいても第一歩になります。次の段階として、相手に託せたことで何かが自分に返ってくる、自分の中に変化が起こることを目指すのです。
人の話を聞くなんてたいした能力ではないと思うかもしれませんが、聞き続けることは実は非常に難しいことです。というのも、人はついついアドバイスしたり、相手のいうことを否定したりしたくなってしまうからです。
ある研究調査で、訓練を受けたカウンセラーと学校の先生に対し、クライエントが同じ悩みを相談しました。すると、学校の先生は聞いている途中から相談に応えようと、自分の考えを次々にクライエントに提案しました。「そんなことないよ」「次はこうしてみたらどうかな」という具合です。善意からいったことですが、これではクライエント側に「自分の話を受け取ってもらえた」という実感は生まれません。一方でカウンセラーは、ただクライエントの話を聞くことでその実感を生み出していました。
物語に話を戻せば、モモにはそれができたのです。自分の話をせずに、黙って最後まで人の話に耳を傾け続けることができた。なぜカウンセラーでもないモモにそんなことができたのか。それは、モモがある豊かさを自分の中に持っていたからだと思います。
友達がみんな帰ってしまった夜、モモが一人で円形劇場跡の一画に座って長い時間を過ごす印象的なシーンがあります。「頭のうえは星をちりばめた空の丸天井」で、彼女はそこで「荘厳(そうごん)なしずけさ」にひたすら聞き入るのです。
こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞いている大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、ふしぎと心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。

(2章 めずらしい性質とめずらしくもないけんか)



星がまたたく壮大な夜空。どこからともなく聞こえてくる音楽。これは、モモの心の中にある宇宙でもあると思います。またこの星空と音楽は、仏教において悟りの世界を象徴するマンダラを想起させます。
モモの心はこのように満ち足りていたのです。それこそが、モモが人々にパワーを与えることができた理由ではないでしょうか。つまり、空っぽの心で相手に話を合わせているわけではなく、自分の中に星々や音楽が満ちているからこそ、相手の話をいつまでも聞くことができたのです。
■『NHK100分de名著 ミヒャエル・エンデ モモ』より

NHKテキストVIEW

ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年8月 (NHK100分de名著)
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河合 俊雄
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