科学の知を万人が共有するために 悟性がもつ働き

数学や自然科学の知を、誰もが信頼して共有できる客観的な知として基礎づけたい──カントはそんな思いから『純粋理性批判』を執筆しました。カントはどのような論を展開することで数学と自然科学を基礎づけていったのでしょうか。東京医科大学哲学教室教授の西 研(にし・けん)さんが解説します。

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まずは、カント認識論のキーワード「悟性」について、詳しく述べておく必要があります。カントは、人間は「感性」と「悟性」の二層構造で世界を認識していると考えました。感性とは、物自体から与えられるさまざまな感覚を空間・時間の枠組みによって位置づけて「直観」をつくる働きのことです。ここで直観された漠たるイメージを、「ああ、これは茶色の大きなテーブルだ」と判断するのが悟性です。『純粋理性批判』では次のように説明されます。
わたしが悟性の機能ということで意味するのは、さまざまの諸表象を一つの共通の表象のもとに秩序づける働きの統一のことにほかならない。
またもや難解な表現ですが、ここでカントがいいたいのは、感性で受け取ったさまざまな直観を整理して秩序づけるのが悟性の働きだということです。どのように秩序づけるのでしょうか。カントは、さまざまな「概念」を使うことによってそうしているのだと述べます。

■経験概念と純粋概念

ところで、カントによれば、悟性の用いる概念には二つの種類があります。
第一の種類は、経験を通して後天的に獲得される概念です。たとえば、「茶色い」「大きい」「テーブル」などはこれに当たります。私たちは、生まれながらにこれらの概念をもっているわけではありません。見たことも使ったこともない道具は、いったい何に使うものなのか、とっさに判断することはできません。これらは「経験概念」と呼ばれます。
この経験概念は、さまざまな感覚をひとつの共通のものにまとめる働きをします。同じ茶色といっても、じっさいの感覚としては黒に近い濃い茶もあれば、明るい茶もある。黄色に近い茶色もあるでしょう。これらの多様な感覚を「同じ茶色」としてまとめるのが概念です。実質的には「言葉」と読み替えてもかまいません。多様な感覚をひとつの言葉でまとめることによって、それらに共通のイメージが想定されてくる。そういう共通イメージのことを概念と呼ぶわけです。
カント自身は『純粋理性批判』では概念と言葉の関係についてはほとんど語っていませんが、いまいったように理解してよいでしょう。
ところで、私たち日本社会に生きる人たちはある種の動物を「イヌ」と呼び、これに似た別の動物については「オオカミ」と呼んで区別しています。しかし別の文化圏に属する人は、この二つを区別せずにひとつの言葉(概念)でまとめるかもしれません。経験によって獲得される概念は、文化や個人の経験によって異なってきますから、万人に共通なものではありません。このように、経験によって獲得される、ということを、カントはア・ポステリオリ(後天的)と呼びます。ですから、経験概念は「ア・ポステリオリな概念」とも呼ばれます。
さて、これとは異なった種類の概念として、カントはすべての人間にあらかじめ(ア・プリオリに)備わっている概念がある、といいます。そしてこれを、経験をまじえないという意味で「純粋概念」とも呼んでいます。もし私たちがア・ポステリオリな経験概念しかもたないのならば、それはヒュームの議論になります。つまり、科学の知は万人には共有できないことになります。しかし、悟性はア・プリオリな純粋概念を備えている。これがカントのアイデアの核心であり、それによって数学と自然科学が基礎づけられることになるのです。
■『NHK100分 de 名著 カント 純粋理性批判』より

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