無能な人をリーダーにしてはいけない 『平家物語』の教訓

太政大臣として権勢を振るう平清盛による京都から福原への強引な遷都は、各地の平家への不満を高める結果となりました。同じ頃、伊豆に流されていた源頼朝が後白河法皇の院宣を受けて挙兵。頼朝軍対平家軍の最初となる全面対決を富士川で迎えます。しかし、この「富士川の合戦」は源氏の不戦勝で終わりました。合戦前夜、水鳥の群れが沼から羽ばたく音を敵の来襲と勘違いした平家の将兵たちが、蜘蛛の子を散らすように逃走してしまったからです。能楽師の安田 登(やすだ・のぼる)さんは、この時の平家軍の大将軍に注目します。

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富士川の合戦では、平家軍の大将軍が維盛だったということも注目したいところです。維盛とはどんな人だったのか。「富士川」の段から出陣する維盛の描写を引いてみましょう。まず、大将維盛は23歳で、「容儀体拝(ようぎたいはい)絵にかくとも筆も及びがたし」と書かれています。その容姿や振る舞いは絵に描くこともできないくらい美しいというのです。
物語の中だけでなく、実際の維盛も超美男子だったようです。九条兼実はその日記『玉葉』の中で、舞を舞う維盛のことを「容顔美麗、尤も嘆美するに足る」と書いています。維盛の美貌は古今の人物にたとえようもないほどで、まるで光源氏のようだ、とまで言われていました。身に着けた軍装や刀などの武具、乗る馬も立派で、そのすべてが「てりかかやく程にいでたたれたりしかば、めでたかりし見物(けんぶつ)なり」(光り輝くほどの様子であったので、すばらしい見ものだった)とあります。光り輝く装束を着たキラキラ男子だったのですね。
『平家物語』では、維盛のことを描写した少しあとに「節刀」の話を書きます。すなわち、昔はこのような朝敵を滅ぼすような戦いのときには参内して天皇より節刀を頂いた。その際に「自分の家のことを忘れ」、家を出る日には「妻子のことを忘れ」、戦場で戦うときには「わが身のことを忘れる」という三つの心得があった。維盛もそうだったはずです。
ところが、富士川の合戦で七万余騎という大軍を率いていながら、戦わずに敗走してしまいました。三つの心得は戦場において霧散しています。しかし、その失態によって更迭されることもなく、次回で取り上げる倶利伽羅峠の戦いでも大軍を率い、今度は兵のほとんどを失います。維盛に率いられた部下は犬死です。維盛は美男子ではありましたが、武将としての実力は全くなかったと言ってもいいでしょう。
ここから昔の武将たちが読み取った教訓は、無能な人をリーダーにしたままにしておいては、組織は崩壊する、ということだったでしょう。『平家物語』の登場人物はキャラクター化されています。そして、無能なリーダーのキャラクターとして登場するのが、この維盛とその叔父さんである宗盛です。
ここが『平家物語』の書き方のおもしろいところなのですが、確かに維盛と宗盛は無能な者として描かれます。ところが、物語は、彼らを決して貶めてはいません。維盛はこんなに美しい人だったと描かれますし、宗盛は、子どもを思う非常にいいパパとして描かれています。
無能さを書きながら、同時に褒める。これが『平家物語』の描き方です。
無能な人を上に置くとその組織はダメになる、それはわかっています。しかし一方で、私たちは、よくそんなダメな人を組織の上に置いてしまいます。それは、その人がいい人だからなのです。維盛のような、どこから見ても格好いい人。宗盛のような子煩悩な人。もし彼らが本当に悪い人だったら、清盛とてトップには置かなかったでしょう。組織の長としての能力があるかどうかが問われる前に、いい人だから高い地位に上がってしまう。これは、日本のさまざまな組織において、現在でも見られることではないでしょうか。『平家物語』は、そんな真理を描きます。
富士川の合戦のあと、敗走してきた維盛ですが、罰を与えられるどころか、なんと出世してしまいます。清盛は、最初は怒って鬼界ヶ島へ流せと言いますが、結局流罪とはならず、維盛を右近衛中将に昇進させるのです。清盛はやはり孫がかわいかったのですね。しかし人々は、「打手(うつて)の大将(たいしやう)ときこえしかども、させるしいだしたることもおはせず。これは何事の勧賞(けんじやう)ぞや」(討手の大将とはいわれたが、それほどやりとげた事もおありにはならない。これは何ゆえのご褒美なのか)とささやきあったと言います。
おかしいとは思いつつ、トップの人事には面と向かって意見できない。これも、いまでもよくある話でしょう。
■『NHK100分de名著 平家物語』より

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